写真詩集『東京』のこと

Thanks to twililightさん, BOOKNERDさん, 篠田綾香さん, 吉田印刷さん


この度ご縁があって、岩手は盛岡の本屋「BOOKNERD」さんより、2022年夏の終わり、写真詩集『東京』を出版させていただくことになりました。





1.はじめてBOOKNERD さんを訪れるため来盛したとき、高速道路でつかまった。元同居人のひろこちゃんと運転を代わって、ものの1分で警察に呼び止められた。規制スピードを3キロオーバーしていた。違反手続きをする車窓からどんどん過ぎ去ってゆく他の車を見つめながら、この前に切符を切られたのは展示「東京」の会場からの帰り道だったことを思い出していた。二度目の来盛で早坂さんから『東京』の本をいっしょにつくりませんか、というありがたすぎるお話しをいただくとも知らずに。ひろこちゃんはそれからずっと運転をしてくれた。そういう力強いやさしさに、どこにいてもすくわれている。

じょうずにできることよりも、じょうずにできないことのほうがずっと多いままである。それでもどうにか走ってみようと前を向けるのは、いつだって、たくさんのものにまもられているからなのだと思う。たとえばそれは、あなたと目が合うたよりない一瞬や会話中の小さなひと言。だからこうしていられるのは、あなたがいてくださるおかげなのです。もっともっとあなたとお話しがしたいといつも思います。そんな思いを抱きながら精一杯つくっています。


2.昨年制作した小冊子『東京』の続作を作るために、唐突に東京に越してみたのが3ヶ月前の5月でした。実は同じくらいのタイミングで、もう一度『東京』を作ってみないかというありがたいありがたいお話を岩手旅行帰りの舞ちゃんが大きなおみやげとして持って帰ってきてくれて、写真詩集『東京』を盛岡のブックナードさんから出版させていただくことになったのでした。一昨日くらいに無事に校了、8月20日に発売となる予定です。

続作を作ろうと意気込んではいたものの出来上がった『東京』は、続作ではなく、全く新しい『東京』のように思いました。昨年『東京』をつくっていたときの自分と、今日の自分が感じること/思うことというのがけっこう違うんですよね。たった1年、住んでからなんてほんの2ヶ月なのに見えているものが本当に違っていて、わたしがみていたものは一体何だったのだろうかとと戸惑いながら過ごして、撮って考えてつくっていました。自分以外の人と自分が見ているもの/見えているものはもちろん違うのに、自分が見ているもの/見えているものですら、日々毎時間毎秒しっかりちゃっかり移り変わってしまうこと、それに抗うことが難しいということを身をもって体感しています。それなのにその移り変わり、流れのようなものに乗れていない自分もいて、怖いなーと思ったり少し怯えたりしています。これは、なんというか頭と心と体がすべて別もののような感覚に近いです。なので、これは続作ではなく、新しい『東京』なのだと思っています。

制作できる環境があること、周りの方々がそばにいてくださることにただただ感謝です。ほんとに。まだまだ暑い日が続きますので、どうかお身体ご自愛ください。良い夏をお過ごし下さい。


3.77年が経過したそうです。

アメリカのことも中国のことも台湾のこともロシアのことも住んだことがないから実際のことはもちろんわからないですし、そうじゃなくてもわたしは知らないことのほうが多くてほんとうのところは自分が情けないです。だからまず自分たちのこと、社会のこと、国のことをもっと知らなければいけなくて、いつ何が起きてもおかしくない今をわたしたちは生きていることを自覚しなければとここ近年知ろうとしてきました。そのアプローチのひとつとして小冊子『東京』、写真歌集『待つほうじゃなくて探しにいくほうを生きていきたい浜百合 片手に』、写真詩集『東京』があります。作ることは、知ろうとすることでもあり、考えることで、周りを見ることで、聴くことで、話すことで、生きることだと思いました。



4.写真詩集『東京』を制作するにあたり、影響を受けた一冊は早坂さんに紹介していただいた『サムシング・クール』という1958年刊行のポケット詩集でした。黒田維理さんが1953年から5年の間に詠っていた詩たちが収録されていますが、69年経ってもなお、ひと人に刺さるとびきりクールなもので、2007年に刊行された復刻版は現在までに12版も刷られています。医師のかたわらで、詩を詠うことをライフワークとされていた方だったと調べたらわかりました。現代に通ずる「暮らし」を戦後すぐにもされていた、わたしたちの人生の大大大大大大大先輩です。

それから、初版限定で付くブックカバーは、なんども読み返している大切な一冊『NIIGATA NATIVE NAVIGATE』 (通称:NNN)からアイディアをいただきました。こちらもポケットサイズのよみもの・エッセイ集で、ポッケにいれて、スケートボードで近所をねり回ったりはしなかったですが、そんな愛で方に憧れていました。

作品の温度感は3冊とも違うのですが、写真詩集『東京』もカジュアルな詩集として、そういうふうになるといいなあと夢見ています。

わたしたちも含めて読むひとそれぞれの、「東京」の話をきかせてほしいです。

5.ものがたりを書こうと思い立って、本編を書く前に「あとがき」を書いてみたことは一度や二度ではない。なぜならいつだって「あとがき」は、格好良いものだったから。それから、本編とはすこし異なる角度から作者の顔が見えることがよくあったから。その、少しだけ閉ざされた親密さに長い間、憧れている。だからわたしは「あとがき」なるものがスラスラ書けた。本編がないのにどうやって書くのかといえば、架空の作品について存在しないこのシーンのここが気に入っていると言ってみたり、どんな思いでこの作品をつくることにしたのかを語ってみたり、日常生活でこの言葉を使うのは一体いつ!というワードをわざと引用してみたりと何でもありだった。「あとがき」に触れていることそのことで、わたしは嬉しくなれた。

写真歌集『東京』には数量限定特典として、ダストジャケットというものが付きます。ブックカバーのように本紙に巻くことができて、一面に愛咲子ちゃんの写真、裏面にふたり分のあとがきという構成です。はじめて本編をつくり終わってから書き出した、ほんとうの「あとがき」となっております。「あとがき」はあんまり読まないなという方も、作品によっては「あとがき」から読んじゃうなという方も、写真歌集と合わせて何度でも楽しんでいただけたら大変ありがたく思います。

6.春から通い始めた学校のすぐそばには大きな公園があって、雨が降ってなければ大抵寄る。ひとりで行って屋根のある席で読んだり書いたりすることもあれば、友人たちと行って踊ったり他のグループをナンパしたりもする。この公園から誰もいなくなった瞬間をわたしはまだ見たことがない。夏がはじまったばかりの頃、あるミュージシャンを見かけた。そのひとはわたしが去年から繰り返し聴いている「東京」という曲を作ったバンドメンバーのひとりで、楽器の練習をされていた。まだそんなに暑くなっていない午前中のことで靴を脱いだと思ったら靴下も抜いで裸足で演奏されていた。その時に、あぁここは東京なのだと妙に納得した。

どこかを蚊に刺されたような気がしてあたりを見回してみる。汗が吹き出てくる身体の正直さにどこか安心する。わたしの目が東京の夏を捉える。一瞬だけすべての音が消えて、それから雑音が耳を満たす。今ここにある東京と、『東京』と、いつか見た東京がいっしょに思い出される。思ったよりも東京は夏が似合う。

7.あんまり考えないことをこの機会に考えてみようと思いました。多分初めて人にみせるであろう下ろしたての舞ちゃんの言葉をいざ<よむ>とき、わたしはどんな気持ちでいるのだろうとふと思い返したら、意外となにも考えていないことに気がつきました。それはどちらかといえばたぶん、意識的に何も考えないようにしていて、生まれたばかりのことばと新しい舞ちゃんに向くには、同じように自分自身もまっさらでまっぱだかな状態で在るということが重要なことのような気がするから、と、なにも先入観なくこれまで読ませてもらった舞ちゃんが書いたものたちとは全く別ものとして、新しく出会いたいからとも言えます。よっしゃ今まっさらや、まっさらな私でみるでー、と意気込むように読むのではなく、読む態勢になるときは自然にそうなっているように思うので、なんか、そういう自分でよかったのかもと考えたりしました。そんなこんなな感じで、読み終えたあとは、毎回違う「すげー」や「いい」、「おもしろい」に出会えます。それから、「ああこの人今こんなこと考えてるんだ」とか「この人こういうブームで今こういう感じなんだ」とかそういう微かななにかが垣間見える/感じ取れると、とても嬉しくなります。そして、このひとと一緒に作れることに感謝だなあとか、もっと自分もものごとに深く向き合わなきゃとか、良いもの作りたいとか、そういうふうに思えます。とてもありがたいことです。でも舞ちゃんをありがたい存在だと思うことは、たとえば家族、周りの友人たち、お世話になっている先輩や上司などなど、関わる人全てに言えることなんですね。そばにいてくださる方々がいるから、やろうって思える。だから今回の写真詩集『東京』も、周りの皆さんありきの作品ということ、大切にしたいと思っています。毎度毎回同じことしか言わないので、こいつしつこいなあなどと思われていそうなのですが、それで良いのです。しつこいと言われようとも、これは本当に大事なことだから、良いんです。忘れっぽいので記しておきます。それから、これは自分の課題なのですが、大切だと思うことは大切だともっと出力を強くして体現していきたいです。がんばりたい

8.早坂さんのインスタグラムの投稿を読んで、東京が似合うひともいれば似合わないひともいると思った。似合わないからあきらめたひと、似合わなくても似合うように努力するひと。それから、ここに酔えるひともいればどうしても酔えないひとがいて、悪酔いしてしまうひともいるのかもしれない。わたしはたぶん似合わない人で、酔えない人な気がする。似合わないからって似合うように変わろうとせず、距離をとる。それでも、似合わなくてもいくら距離をとったとしても、東京は他人事にはならない。とても大きくて強くてたくさんのものを含んでいる。それはどんどん大きくなっているけれど、一方でその裏側では少しずつ少しずつ欠け落ちていくものもあるように思う。それでもやはり、ここは他人事にはならない気がしている。東京を考えることが、自分たちのことを考えることでもあるのだと知った。


9.「東京のひと?」とよく聞かれる。わたしは首を振って相手に同じことを尋ね返す。東京に生まれついたら、東京にいる時間が地元にいる時間を追い越したら。東京に居場所ができたら。東京のひとではなかったひとが東京のひとになることはあるのだろうか。また同じように、東京のひとが東京のひとではなくなること、はあるのだろうか。

そんな認識はひとによってそれぞれだから、あることもあればないこともあるだろうとは思いながらそんなことを考えてしまう。わたしは新潟に生まれ落ち、育ってきた新潟出身のひとだ。今は東京にいる新潟出身のひとだ。東京のひとではないし、わたしが自分を東京のひとだと思うことはおそらくないと今は思っている。それでいいと思っていて、同じくらい変わってもいいとも思っていて、そんな話をいろんなひととしたいと思うことを最も大切にしたい。「あなたはどこからきたの」という問いかけを、そのことばを使わずに投げ続けたいと思っている。そして受け取りたいとも思うのである。