10月7日

(あ)ほうじ茶が飽きないのはなぜ?おしえてチコちゃん

10月6日

10月5日

(あ)今日取り急ぎいっこ入稿できた。暗室からそのまま銭湯に向かって帰宅。ぽかぽかしちゃって眠れないのでこれまで買い集めてきたジンをみてた。もう2時になるのでそろそろ寝よう

10月4日

(あ)昨日のこと、久しぶりに胃が痛くなって、(今回のはコーヒーとおやつの過剰摂取で)もうダメかもと思いながらも、わたしの過失でこうなってしまっているのが悔しくて、いやでもおなか痛い・・とぐるぐるしながら外に出てみたら雨上がりの風がすごく気持ちよくて、ちゃんと秋で、少しだけがんばれそうという気持ちになり、暗室に向かうことができた。風、ありがとう。帰宅後はいつぶりかわからないゆーてぃとはじめて電話とかしちゃって。パイセンの用事がなきゃしなかったから、結構きゃっきゃして無事に夜を終えた。今日もこれからいつも通りの夜を始める。

10月3日

10月2日

(あ)昨日。お行儀が悪くて恥ずかしいのだけど、夜ご飯として食べながら駅に向かって、ホームで電車を待っていたら鼻からおにぎりが出そうになった。やや登坂を一生懸命に進んだからだろうか。歩き食べってそういう意味でもよくないのですね、やめよう

10月1日

9月30日

9月28日

9月27日

9月26日


9月25日

(あ)アイフォンのメモより:昨日ひろこちゃんと熊本の夜を歩きながら帰った道を、答え合わせをするように今朝はバスでゆっくりと走行した。橙の街灯が照らす薄く明るい街並みと、優しい秋風がふいてうろこ雲がひろがる朝とではぜんぜんちがったね。たった4日の滞在だったけれど、前半はなかなか堪える暑さが続いていたのが最終日にはすっかり秋の空気をまとっていたのでちょうど良いタイミングだったのでしょう。今回の一番の目的で東京で行けなかった山野さんの展覧会は熊本まで追いかけてきてよかったと思える本当に素敵な企画でした。三部さんのA0くらいに引き伸ばされた美しいプリントを見るだけでもわたしにとってはとても価値のあることだったけど、この展示のために吹かれたガラスと静物画、画家さんや山野さんのイメージ、言葉、感覚、ニュアンスのようなもの、どれもが行き交いあいながらまざりあったりあわなかったりして、それらをつなぐものとして写真があるような気がして、なんだかすごく頼もしかった。フォトグラフをみたなあ。超独断感想ですけどね。それから阿蘇で感じたことも、いけなかった天草や水俣もふくめて遠くないうちにいきたいな。ひろこちゃん伴走してくれてありがとう、ひろこちゃんのおかげで最高のくまもとでした

9月24日

9月23日

9月22日

9月21日

9月20日

9月19日

9月18日

9月17日

9月16日

9月15日

9月14日

9月13日

(あ)アメリカから印画紙を3箱買ったけど、買うの遅かったなあ、今月中に届くだろうか、ちょっと死活問題かもしれない

9月12日

(あ)久しぶりに誰もいない、わたし一人だけの学校。トイレに差し込む光がきれいで見惚れていたら、吹いてきた風がすごくやさしくて、大丈夫だよと言ってもらえた気がしている。最近向き合っているものが理由だとはわかっているけれど、焼きながら泣きそうになったり、すこし泣いている。泣ける、泣かせてくれるものがあったことに心から感謝しているし、だから作ろうともしてるんだけど、ずっとそういうきもち。ありがとうとごめんねとありがとうとごめんねばっかり。これを無事に完成させたとき、手放すことはできるだろうか。わたしはそれをのぞめるんだろうか。ずっと持ち続けるんだろうか。水澤さんはご自身の写真をみるとき、涙はでたりするのかな。じぶんがとことんきもくておかしいなんてことはわかっています

9月11日

(あ)

9月10日

(あ)9月8日かと思っていたら今日は10日で、9月の一週目は一瞬で過ぎ去っていった。今朝は寝坊をして健診を受けられなかった。自分が外国人だったら、laurie という名前がいいなと思っていたけど、jane もかわいい

9月9日

9月8日

9月7日

9月6日

9月5日

9月4日

(あ)ゆーてぃおめでとう、22かあいいなあ

9月3日

(あ)昨日自転車をこぎながら浴びた風が秋の風だった。あんなに暑かったのにあっさりやってきそうな秋の予感にすこし戸惑いながらもやっぱりうれしいなと思っています。どんな秋の景色を見れるだろうか。昨夜は、しばらく浸ってしまいそうなうっとりするような夜だった。勢いで海外からファーストを購入した。

9月2日

(あ)最近の気づきとして、自分の機嫌は自分でとること/とれること/とろうとすることは、他人へ期待しないことでもあることかなあ、という感じで、これから検証・立証しようと思います。阿佐ヶ谷での生活があと1年半しかない(そうするために努力する)のでめいっぱい楽しもうと思う、がんばろうわし。かいちーとお互いを激励する誕生日だった。

こんなに泣いても笑っても、人生って一回だけなんだよな。あと何回大好きな人と笑い合って、ご飯を一緒に食べられるんだろう。後悔してもしなくても毎秒、ちゃんと息を吐いてちゃんと吸いたいわね

9月1日

8月31日

8月30日

(あ)ここ最近ずっと、今日で終わりのような、終わりでもいいんじゃないかと思うくらいの素晴らしい放送が続いていたけど、いよいよほんとうのクライマックスに入るだろうなという予感がする来週の予告だった。

8月29日

8月28日

8月27日

(あ)きのう夕方予期せぬ決定打を与えてしまったことでついにSIMが認識されなくなり、携帯がちゃんと使えなくなったのでアップルストアに駆け込みました。みましたものの激混み(いつも)で対応してもらえず、でも携帯がないと在宅ワークができないので、その辺を歩いていた人に中古スマホ屋を訪ねて新宿を30分少々汗だくで練り歩き、たどりついたイオシスで15800円のアイフォン8を購入。データ移行はなんでかうまくできなかったけど、ライン以外は使えるようになった。東京のまちで、グーグルマップに頼りすぎている生活をしてることを思い知る数時間でしたけど、そういう意味でのサバイブ能力はまだ衰えていないようでよかった。いいんだかわるいんだかな、夏の夜(よ)。

8月26日

(あ)きのう夜、レインボーブリッジを渡りたいのにどうしても渡れなくて疲れてあきらめて帰路につこうとしたところにラジオから「らいおんハート」が流れてきた。まさか、そんなふうに僕を癒してくれる、なんて、ねえ。ブックオフいって、CDかお、となった。数年前は水澤さんのことがこわかったのに、今じゃすっかり水澤家のファン、勝手に大好き。あの頃のじぶん、ばかだったよなと思うけど、いまも大してかわってないんだよな

8月25日

8月24日

8月23日

8月22日

8月21日

8月20日

8月19日

8月18日

8月17日

8月16日

(あ)13日ぶりに早起きをして信越線、上越線、飯山線へ乗り継ぎながら内陸のほうへ。毎年豪雪をかぶって育つ野生の植物たちの逞しさ。太陽に向かってのびていく緑たちの香りを身体いっぱい浴びてきました。上りは空いていたけど、下りは部活帰りの学生たちでにぎわっていました。まだまだ暑いけど、越後平野にひろがる雲はなんだか秋の雲のようにみえました。もくもくしてない、やさしい雲。

8月15日

(あ)気持ちのよい風が吹くテラス席で母と一緒にお昼ごはんを食べ、帰りの車内で流していたラジオからきこえてきたのは大貫妙子の「突然の贈りもの」だった。こんな声だったっけ。昔と声、変わったよね。いまのほうがなんか、いいね。母との何気ないやりとりは、ずっとずっと遠い、決してみることはできない、これまでの日々からの贈りもののようだと思った。そうなのだと思う。今日を、いまを、わたしは抱きしめていかなければならない。抱きしめてゆく義務があるのだと、そう思えた。そうすることが、わたしにできる弔いのひとつなのだと思う。

8月14日

8月13日

8月12日

8月11日

8月10日

8月9日

8月8日

8月7日

(あ)無罪判決のあと、寅子はヒャンちゃんに結果を伝えるために電話したら泣いちゃったんだって。ヒャンちゃんは、困っている誰かを助けられる人になりたくて、弁護士になりたかったって思い出したんだって。ヒャンちゃんはこれからどんな人生を送るんだろう。わたしも

8月6日

8月5日

8月4日

8月3日

8月2日

(あ)自律神経の乱れ、睡眠障害、やや鬱、疲労、腰痛、貧血、熱中症、長岡花火、空襲、虎に翼、新潟大火、地震、阿佐ヶ谷図書館、『メディアと若者文化』、山野アンダーソン陽子『ガラス』、熊本、プラムジュース、百日紅、宍道湖、疲れ、なんだかとても疲れている、大丈夫になりたい、

軽めの熱中症をここ数日間で頻発させて(情けない)います、どうにも自分を律することができず、公共の場でだらだらしながら読んだ今号美術手帖のインタビューに少しだけ救われました

8月1日

L7月31日

7月30日

L7月29日

7月28日

7月27日

7月26日

7月25日

7月24日

 7月23日

(あ)また更新しながら寝落ちしてしまったので帰宅したら昨日分と一緒に写真をあげようと思っています。バタバタしてなんとか出社。今日は一人なので、図書館にいようと思います。「満ちている」状態について今朝から考えています。

7月22日

(あ)

7月21日

(あ)7月20日 「麻婆の片栗粉具合ってどのくらい」という通りすがりの、まるでフジロック帰りのヒッピーカップルの会話

今日  キラキラ広告に対する批判的意見を読んでの感想を書いていたけど、PCが重すぎて2回落ちて、2回書き直したけど、また落ちてしまって、さすがに心が折れました。頑張れない日ばっかりだけど、頑張れたなと思える日が一日でも多くあるといいなと思います

7月20日

7月19日

7月18日

7月17日

7月16日

7月15日

7月14日

7月13日

7月12日

7月11日

7月10日

(あ)昨日内見にいってきたけど微妙だった。暗室に行ったけどうまく焼けなかった。そういう日なんだと思う。ちょっと休もう。つかれたな

7月9日

7月8日

(あ)5日、久しぶりにゆっくり話す人たちと1時ごろまでのんでいた。写真を撮る行為・行動がどういうものなのか考えるようになってから、向き合い方が変わってしまったことを改めて口にしたときに何とも言えない気持ちにはなったけど、いろいろ話せたことで思考が整理できた。6日、祖父の一周忌を無事に終えた。元気でやってるかなあ。7日、夕方東京に帰った。いろいろ言われているし、もちろん思うこともあるけど、東京の行く先を追い続けていきたいと思う。帰宅したら暑すぎてか、gがしんでた。木造から離れたい、引っ越したい

7月7日

7月6日

7月5日

7月4日

(あ)6月2()8日金 バイトを終えて、ちんたら暗室へむかい、何枚かプリントして、いいのができたと思って勢いでラインで送って、それからすぐ送信取り消しを押した。取り消して後悔しながら水洗して、終電で帰宅。

6月29日(土) 朝昨日の写真たちをフラットニングして皆藤さんの展示に。想像していなかった光景が目に入ってきて戸惑った。わからなくて。そのあとのやりとりで、わからない(おもしろさ)の中に、垣間見る、もれ出す品(elegant?gentle?)があって、それは皆藤さんらしさなのかも、と。わからないの中にみつける、わかるなにかに安心していて、こういうのやめたいかもって思っていた。来年のげきやめ受講しようかな。

6月30日(日) バスを逃し、新幹線で東京へ。つくづく自分中心だなと思った。いい日のはずなのに。沼垂に育ててもらったということばがすごく響いた。ここでしか、ここだから、ということがたくさんある。ありすぎる。

7月1日(月)

7月2日(火)

7月3日(水)

今日(木) 撮影。まいちゃんがよく言う、今が一番若いんだからにいつも励まされている。わたしはまだ大丈夫だ。

7月3日

7月2日

7月1日

6月30日

6月29日

6月28日

6月27日

(あ)6月20日、閉店間際のフラーに駆け込み、お棺にいれるお花を購入させてもらった。1年ぶりに会う平野さんと変わらないねという話と、みなさんの無事を確認した。今度はこういう機会じゃなくてふつう遊びに行きたいな。夜はおじいちゃんの頭上で眠った。

6月21日、おばあちゃんに起こされ、納棺の準備。そのあとおくりびとさん方がきて湯灌という納棺前のお風呂(シャワー)をした。ツボマニアだったじじいの首元のツボを丁寧におしながらヘッドマッサージができた。気持ちよく思っていてくれたらうれしい。みんなで選んだグレーの優しい花柄の装束は思ったより似合っていて嬉しかった。お棺にはじいさんが車に乗せていた狼のぬいぐるみとちいさいうさちゃん、スケッチブックやポーチ、ハンカチ、大事にしていたであろうお守り、家族の写真、電話番号が書いてある紙、お酒なども一緒にいれて、フラーで買った色とりどりのお花たちを添えた。さみしくないといいなと思いながら、あっという間に出棺してしまって、じじいはお骨となったわけだけど、これがびっくりで、骨がほぼ全部残っていた。笑っちゃったね。お骨箱がいっぱいになるまでみんなで丁寧に拾いました。仏様までみせてくれてありがとう。

6月22日、じじい(骨)を車に乗せて、秋田へ。一緒にドライブできてよかった。じじいのおかげで父と母と3人でホテル泊という初めてを味わえた。おもしろかった。夜は怪しいラーメン屋でラーチャンをおなか一杯たべました。

6月23日、10時葬儀。まさかの、骨が大きすぎてお墓に入らないということで納骨はまたの機会になった。せっかく秋田まで来たのにじじいらしくてみんなで笑った。そのあとみんなでお家の跡地にいき、散策。ジューンベリーがとってもおいしかった。お墓の上の桑の実も、あまくておいしかったね。はなももちゃんやあけびちゃんも実がついてた。初夏のめぐみたち、ポンポンしててかわいかったです。

6月24日、母と父とのんびり新潟まで向かいました。プチ旅行でした。父がまた来てもいいかもとボソッと言ってくれたことが嬉しかった。

6月25日、朝新幹線で東京へ。新潟へ向かう新幹線ではぼろぼろと泣いてしまっていたけど今朝は涙は流さなかったかわりに爆睡していました。そのままバイトへ。剥げてたネイルを直したりました。キューティーブロンドをみて、映画が見たくなったので、去年公開されていたミシェルウィリアムズのを一本みました。映画ってこんなに人生を豊かにしてくれるものだっけ。ありがとうと泣きながら寝ました。(なきすぎ)

6月26日、昼から暗室へ。ぼーっとしちゃって、タンクがあかなくなったり、QWで洗っちゃったり、ドライウェルにつけ忘れて水滴がすごいことになってしまったり、でしたが、なんとかネガができたので良かった。しかも結構いいネガだった。

6月27日、今日。朝食はみかん。夕方から暗室にいこうかとおもった(やることはいっぱいある)けど、バイトの後まっすぐ家に帰って、スキャンなどの事務仕事をしようと思います。そしてできるだけ早く眠ろう。

6月26日

6月25日

6月24日

6月23日

6月22日

6月22日

6月21日

6月20日

6月19日 

(あ)昨夕に東京に戻ってきてたけど、いまはまた新潟へ向かう新幹線に乗っている。12時36分。ぼーっとしてたらあっという間に一時間半たってた。乗る前、10時とかに外を出歩くことなんて最近はぜんぜんなかったから、太陽ってこんなに明るかったっけって。6月とは思えない夏日、紫外線指数も7。梅雨前なのに蝉の声が聞こえてきそうな快晴。でも昨日の雨のおかげか、太陽に照らされている植物たちはなんだか嬉しそうだった。体調が悪いと聞いていたから、そのつもりでここ数日は毎日会っていて、覚悟もしてた。そりゃ「じゃーね」ってわたしもあいさつしたかったけど、その瞬間は、和子さん、お母さんゆみちゃん、和美ちゃん、お兄ちゃんがそばにいてくれたみたいだから、みんなに見守られながら大好きなハツさんやつるちゃんさんのもとへ行けそうでよかったなって。10時30だって、おぼえやすい数字。たくさん話したしたくさん遊んだしたくさん喧嘩もしたけど、ぜんぜん足りないのよね。わたしもじいさんに似て甘えたがりなもんで。まだ向こうに着くまでもうすこしかかるとおもうけど、向こうの人たちに会えるまでひとりだと思うから、さみしくないようにいてほしいものです。お棺にはなにをいれようかな。

6月18日

(あ)6月14日 まずはおじいちゃんに会いに。ごほごほしていたけど、エヘンとしたらエヘンとしてくれた。手がすこし冷たかったので温めた。午後は沼垂に。まず mo に。久しぶりに入る空間に思い浮かぶ光景といま広がる光景。いくら変わっても変わらないもの、なつかしい痕跡に、背筋がのびた。そのあとはイサナ、ポドコさん、そして夕日をみに。佐渡がよくみえた。

6月15日 朝は好きなパン屋にパンを買いに。そのあと現像を出しにでかけた。午後はおかあさんと面会に。ちょうどゆみちゃんとおばあちゃんと一緒になったので、ゆみちゃんとお母さんと病室に入った。ふたりずつ写真を撮った。まあまあいい顔で、手があったかかったね。そのあとはイサナ。渡せてなかったTシャツをようやく渡せた。いっこ、気がかりを解くことができた。受け取ってもらえてよかった。それからしゅうたろうさんとふくちゃんのツーショットを春ぶりにみた。あやねちゃんとやまぴと三人で遅くまでのんびりして、2人を見送ってぼーっと過ごしていたらぶーんと、カナブンが入ってきたね。イサナノートをみてた。みんなのイサナ愛に触れられてあたたかな気持ちのまま帰った。

6月16日 朝一でイサナに顔を出し、ゆうこさん、大滝さん、佐藤さん、たいさんに会った。 そのあとは、mo で本撮影。ひとりだったからのんびりやりつつも、しゃんとしてたと思う。休憩していたら野呂さんが前を通って声をかけてくれた。まいちゃんの話になったけど、元気だったらそれでいいよと思う。元気じゃなかったらやすめるときには罪悪感を感じずにたくさん休んでほしいと思う、ネイルとかもしてさ。昼には終えてイサナへ。入れ代わり立ち代わりたくさんの方々がご来店された。はじめましての方も馴染みの顔ぶれも。終わるなんて信じられないくらい日常がここには流れていて。不思議な気持ちだった。おさかなカルテットさんの演奏はさすがに泣いてしまったけど、非日常が日常で、日常が非日常なかんじのまま、本当にいつも通りの時間が過ぎていったように思う。そして最後の営業を終えた。いつもどおり、しきちゃんと中川夫妻を見送り、残ったスタッフでご飯を食べに行き、たわいもない話をして別れたね。イサナが自分たちの当たり前だったことがすごく幸せだったなと思う。

6月17日 まだまだ気持ちがまとまらないままだったけど、おじいちゃんに会いに。手が冷たかったけど、足はあったかかったね。次くるの、ちょっと先になっちゃう話をしたら「ずいぶん先だなあ」って会話ができてうれしかった。

6月18日 おたけしの展示を見に上越へ。がんばらなアカンとはっぱかけられました。

6月17日

(あ)6月13日、友人のおこ(双子ちゃん)に会いに西区へいく。そのあとは母と一緒に喫茶室へ、わたしがてんちゃんのチャイと一緒にコーヒーゼリー。母は、クラフトコーラを飲んでいて、私が食べていたら、コーヒーゼリーを追加注文した。なんでもない話をして、あやねちゃんに母とのツーショットをとってもらった。店内にはやまぴ。カウンターにはあやねちゃんとてんちゃん。母が帰ったあともぼうっとしていると、きれいな方が来店。あやねちゃんのお母さんだった。少しお話させてもらったけど、あやねちゃんのお母さんはいさなっぽかった。

6月14日

6月15日

6月16日

6月17日

6月16日

6月15日

6月14日

6月13日

6月12日

6月11日

6月10日

(あ)今週末使おうと思っていたカメラが壊れた。壊れたのは2代目。まだ生産中なので購入しようと思って調べたらまさかの一時販売休止中だった。フィルムや印画紙だけでなく、カメラもこうして手に入りづらくなっていくのだと思うと、続けにくくなってきますね。続けていきたいとは思っていますけど。弾丸で秋田に行ってきたことはまた近いうちに記そうと思います。

6月9日

6月8日

(あ)わたしが変わったのか相手が変わったのか、どっちもだとおもうけど、日々とともにわたしも大なり小なり変化しているんだなと思う。いつのまにか考え込むと変化は怖いと感じるようになってしまってはいるけど、恐れすぎず、のんびりと気持ちいい風が吹く方へさすらい続けていきたい。

6月7日

(あ)まだまだ初夏の風が吹いている。「“あいだ”の季節」っていうことばが、すごくいいなあと今日思った。明日は10時間運転役なので早く眠ろうと思う。

6月6日

6月5日

(あ)キッチンの窓を開けたら、ようやく咲いた白い芍薬がふわっとかおってきた。なんとなく流しやコンロをきれいにして、久しぶりに家の写真を撮った。そのまま松野さんを聞きながらのんびりしている。携帯で流すより、デッキからディスクで流すひと手間がすきなんだったと毎回思い出しては毎回忘れて、また思い出す

6月4日

6月3日

6月2日

6月1日

5月31日

(あ)

5月30日

(あ)昨日は少しだけ調子が良かったので久しぶりに自炊をしていた。毎週楽しみにしているドラマに今泉が今泉っぽい役ででてた

5月29日

5月28日

(あ)低気圧に全部持っていかれている感じ。読み返したら一年前も同じ感じで全然更新できていなかった。マドンナからの連絡に救われた。

5月27日

5月26日

(あ)

5月25日

5月24日

5月23日

5月22日

(あ)ひさしぶりに当たる京の夜風、懐かしいような新しいような。数年後、ここで生活しているんだろうかどうだろう。いよいよあとまわしにしていたこと、向き合わなきゃなあ、がんばろう

5月21日

(あ)この間はお茶プレゼントのクーポン、先週はスタバ一杯プレゼントのクーポンをもらったのに無駄にしてしまった。ほんとうのところは必要ないとおもっているから無駄にしてしまうのかな、どうだろ。でもおいしい抹茶のみたかったな

5月20日

(あ)昨日のバス酔いを引きずっている感じ。

5月19日

(あ)金曜日はじいさんの面会。担当の看護師さんがとても優しそうな方でお話できてよかったし、じいさんも顔色はそこまでよくないものの、わたしのことはかろうじて覚えていてくれた。ありがとうね。会えてうれしかったし、もちもちの手も相変わらず気持ちよかった。おじいさん、ありがとう。お昼はおばあちゃんと一緒にトリップへ。チャイをおいしそうに笑顔で飲んでいて私もうれしくなった。付き合ってくれてありがとう。夕方は樹さんにあいにみ~つへ。充電期間を経て、着々とタスクを進めている樹さんの横顔、頼もしかった。元気じゃないときもあるかもしれないけれど、元気な様子をみれてなんだかほっと安心しました。土曜日はブナへ。ひとりだったけど、大白川にいったらひとりなんかじゃなくて。これからもいけるときは通い続けようと思ったのでした。新緑のブナ林は、ブナだけじゃなくたくさんの植物たちが光を求めてのびていました。見学の後、紙谷先生が昨年ギャップ伐採が行われた場所に連れて行ってくれました。何気ない風景なのかもしれないけれど、すごく感動しましたね。今回もいけてよかった。無事にネガも現像できますように。おみやげを担いで喫茶室にすこし寄ったのだけど、なぎささんとすれ違えてすこしだけだったけどお顔見れて元気をもらいました。日曜は母とイチゴを買いに、そのあとは2日連続になるけど喫茶にお茶をしにいきました。なんだか、母と一緒にどうしても行きたくて。わがままをいって連れていき、カウンターでふたりでお茶をしました。この週末ももらってばかりでした。いつか、ちゃんと返せるだろうか。愛をつたえていけるだろうか。って書いてたらバス酔いがしんどくなってきたのでおわりにします。降りた上里ではぱらぱらと小雨が降っています。アスファルトが湿っていくにおい、関東の梅雨もそう遠くはないのかもとバス酔いのなか思いましたおわり

5月18日

5月17日

(あ)10代から仲良くしてもらっているユニクロ時代の先輩と白髪の話をする日がくるなんて、なんて素敵なことなんでしょうね。矢口さんのお店、たのしみだなあ。眠っているヴィンテージの印画紙を使う日が近そう。

5月16日

(あ)

5月15日

5月14日

5月13日

(あ)予想以上に時間がかかって3時くらいまでPC作業をしていたので目が覚醒してしまい4時ごろまで眠れずにいると、だんだん空が明るくなって雨が降り出した。次第に雨も強くなってきて、このぼろ家の屋根の内側とか、カビてそう・・とか嫌な妄想を膨らましていたらいつのまにか寝てた。起きても雨はずっと降っていて、まもなく正午をまわるけどずっと降っている。低気圧と寝不足と生理のトリプルパンチ。お昼何食べようかな

5月12日

(あ)朝もちゃんと起きれず、ずーんとなって日中行く予定だった公演にも行けず、またずーんとなりながら夜はなんとかバイトに向かって、頑張ったご褒美に抹茶の飲み物とか飲んでみて、でもずーんで、そして帰宅したら生理になっていてずーんの訳が分かったというような感じ。いつもより数日だけ早めにやってきた。今年も京都グラフィいけなかったな

5月11日

(あ)

5月10日

(あ)ショックすぎて写真やめようかと思った。Tmax devの原液20℃は今回なぜだか現像ができなかった(前はめちゃくちゃいいネガできました)まるで定着に先につけたようにロゴもきれいに抜けていきました。正直にごめんなさいと謝罪をしたらめちゃくちゃ優しくて余計泣いた。もうすごくすごくすごくすごくすごくくやしいから、もっとずっと上手になってやります、、ぜったいやめてやらない。

5月9日

(あ)正直であることがだれかを傷つけてしまいかねないということにもう少し自覚的であろうと思った夜だった

5月8日

(あ)昨日の夜、東京に帰ってきた。いろんなことを考えて、感じて、いろんな気持ちを味わったGWでした。いまはありがとうという気持ちと、さみしさとの間を揺れています。まずは今日のうちいっこおお仕事をやらねばなりません、がんばります。

5月7日

5月6日

5月5日

(あ)お祭り日和。今日が思い出になっていくことがさみしくて、でもそれを積み重ねていけることがうれしくて。大切にするってどういうことだろうと昨年からずっと考えているのだけど、(もちろんまだまだ答えは出せないのだけど)その過程を経てのひとつの結果というか答えに出合えたようなそんな日だった。

5月4日

5月3日

5月2日

(あ)ひさしぶりに会うはずなのにそう思えないのはなんでだろうな。諸々報連相不足に反省しながらみんなのやさしさとISANAへの愛に救われた。

5月1日

(あ)まだ終わってないけど反動でずーんどーんとなって寝ていました。今日から5月かあ、はやいなあ。帰ったらカレンダーめくらないと

4月30日

4月29日

4月28日

4月27日

4月26日

4月25日

4月24日

(ま)現在、12時18分。衣替えついでにやっと引っ張り出したカメラを見ていると新潟で三人暮らしをしていたころの写真が出てきた。あさちゃんが撮ってくれた髪を切られるひろちゃんと切るわたし、屋上に干されたばらばらの洗濯物、部屋の気に入ったいた場所、リビングで踊るあさちゃんとひろちゃん。ほかにミシンを踏んだりボタンを数えている祖母、父の寝顔、もう行くことのない場所で撮られたもの。それから今の部屋の写真を撮って、わたしは文章を書こうとおもった。

(あ)日々迷っては困っては悩んでは泣いては悲しんでは落ち込んではたまに嬉しくなっては喜んでは笑っている。いま思ったことを明日もそう思うかはわからなくて、そんなさすらいの中に生きている。いったりきたりしている。ずっと、そんな感じ。これからもたぶん、そんな感じ。

4月23日


4月22日

(ま)現在、24時57分。またいろんなことを考えられなくなっている。林檎は皮付きのほうが美味しい。ことばが遠い。

(あ)いまは仙台にいる。思いがけずお会いしてみたかったひとのお店にお邪魔してすこしお話をしてきた。妖精さん3人と、わたし。不思議な空間でおみやげ交換会をした。その前には滝を見に山を登り、わさびの里で甘酒を飲み、さくらのはなびらをつかまえた。晴れてほしいなあと願って、2日間ともにお天気に恵まれたので本当に良かった。くまがいさんに声をかけてもらったおかげで、知らない町の知らない誰かが、知っている町の知っているあのひとになった。みんなのそばに、もうすこし和やかな春がいてほしいと思う、そんな2日間だった。

4月21日

(あ)予想以上の照り照り日和で、プリントが大変だろうなあと思いながら撮影させてもらった。でも楽しかったし、いい意味で緊張感を抱えながら挑めてよかったのだと思う。4本、いい絵がとれているといいなあ。東京に戻ったらまず現像をして、ここ数日を振り返ろう。

4月20日

(あ)いまは東京に向かうはくたかのなか。いろんなことを考えて、今を生きて、明日をめざしています。

4月19日

(あ)徹夜というあほなことなどもうしたくないと思いながら今回もしてしまった。無事ではないけどなんとか終えてこれから直江津に向かう。

(ま)現在、25時38分。海外からやってきたひとびとに揉まれながら秋葉原を歩いていると小学校のころに家族で遊びに行ったときのことが思い出された。今くらいの気候でふらふらと歩いて、でもどういうわけか迷う心配なんてなかった。このごろは東京を歩いていて家族のことをよく考える。探したけれどもうおでん缶の自動販売機は見つけられなかった。

4月18日

(ま)現在、22時26分。5年くらい前からいつも思い浮かぶイメージの一つに老人になった自分が広い机に座ってタイピングをしている映像がある。そして決まってなにかの文章を書き出しているところで、それは〈若いころはずっと眠たかった。〉という一文からはじまるものだった。今夜も無理やりいろんなことを詰め込んでいて、その一文にぴったりである。雨の音は聞こえない。

4月17日


4月16日

(ま)現在、24時10 分。めずらしく8時間の労働があっという間に過ぎ去って、いい気持ちで坂をくだる。こんな日はめったにないけど寄り道はしなかった。帰ってロールキャベツを食べて入浴して、読書してお洗濯ものを取り込んで、そうやって生活を取り戻していきたい。ひとりになって遠くへいきたいと思う。それでもこの部屋にいても遠くへは行けるような気がする。切りすぎた前髪はへんなままで、まだかけていない手紙がある。もうないのにまた充電器が見当たらない。昨日から秋田のさとう菓子店さんのレモンケーキがむしょうに食べたい。あの、レモンケーキが。

4月15日

(あ)わたしの場合、常に(自分が)怯えている前提でものごとを捉えていかないと恐怖心に負けそうになるし、そういう気持ちを抱いたまま進めていくことになってしまうので、これは自分を守る手立てなんや・・と実感していました。そういう盾なるものをいくつか持っておくことで自分をそしていつかだれかをも守れるのかもしれないですね。

4月14日

(ま)現在、17時9分。寒いような気もするし暑いような気もするし、寒暖差もあるし、と思うのだけれどどこを基準にしても気温に対してばっちりな服装にならない。今日もまちがえたと思いながら街を歩いている。

4月13日

(ま)現在24時59分。数年前の誕生日にりこちゃんが贈ってくれた小説をせっせと読んでいる。それは二段組のハードカバーで持ち運ぶにはたいへんなのだけれどカバンに入れて少し時間があればひらいている。かなしいことに〈かなしい〉とかかないこの作者の筆圧が、ながい小説をわたしに読ませる。一緒にいて会話をしているのにもっと一緒にいたいと思うような友人みたいである。

4月12日

(ま)現在24時9分。昨夜からの不調のこたえあわせのように生理が来る。気持ちが下向きになりつづけて自分のなかのモンスターが顔を出し暴れ始め、よくないほうにばかり考えが向く。自分がひどく無能に思えて頑張らなきゃというのと、もっと休みたいというのがどちらもある。こういうときには大切なことを決めたりしちゃいけない。いつかひろこちゃんに貸した腹巻を巻く。見学させてもらったライブの帰りのエレベーターでだれかが、これギャラいくらなんだって、と言った。わたしは開くボタンを押し続けていた。

4月11日

(あ)朝出社前に暗室によって少し作業をしていた。7時ごろは曇り空が広がっていて人も全然いなかったのに、9時すぎには晴れ間も見えて活気づいていた。この街の今日という一日の始まりに触れて嬉しくなった。それからお昼も必要なものを取りに暗室に戻っていたのだけど、公園や外のベンチでお昼を食べている人やプランターの黄色いお花に水やりをしている光景、道端に咲く桃色の蘭が目に入り、そしてわたし自身も穏やかな春の風を浴び、うららかな季節の恩恵を受けるような気持ちになった。日本では平等に季節は巡るけど、それをどういう風に感じるかはまた別の話で、そのことを忘れずに在ろう。ということをここ最近はとくに思っていて、そういう話を前にしたら、「PERFECT DAYS」的だねと言われた。まだ観ていないので・・・という感じではあったけど、もしそうなら、わたしがどうとかそうとかいう話ではなく、ヴィムがえがこうとしたものは、日本の詫び寂びなのではないかと予想できるので劇場に答え合わせをしにいこう。今日は更新できるメンタル状況でよかった・・

(ま)現在、22時43分。どんなにすきなひとが「いい」と言っていたって信頼できる場所がはげしく推していたって、その商品がいまの自分には合わないなんてことはよくある。そのことに落ち込む必要などもちろんないのだけれど期待に期待して待っていたから、何だがちょっと肩透かしをくらったような心持ちである。まいばすけっとに行ってくるね、みたいな感じでインドへ行っていたあすちゃんからおみやげにスカーフをもらった。椅子にかけたらよく馴染んで、なんてとおくからきたのだろう、と思った。

4月10日

(ま)現在、14時24分。わざわざパソコンを担いで一日移動したのに時間がなくて外でひらけずに帰ってすぐ眠ってしまうという負のサイクルにいた。右を見ても左をみんな眠たいと言っているような気がする。うっかり眠りそうになりながらのんちゃんと夜のピクニックをしたり、味噌入りほうれん草汁をつくったり、話を聞いてもらったりしている。誰かに話を聞いてもらうことの力というのはほんとうにすごい。自分のことを話すのは骨が折れる。でも何に困っているのか、どうしんどいのか、を口にするだけで何かがたしかに軽くなる。散った花びらが屋根に張り付いていた。

4月9日

(あ)

4月8日

(あ)

4月7日

4月6日

4月5日

(あ)あっというまに4月も5日。

(ま)現在、24時29分。昨夜なっちゃんと話してランニング欲がメキメキとしていたのでライブから帰ってきてからほんの少し、近くの川沿いを走る。満開の桜の側を行ってみたけれど帰りは折り返して向かい側を行く。向かいから見たほうが桜はよく見える。いいコースを見つけたし遠くで光っている高いビルを見るとここは東京の夜なんだ、と気持ちがシャンとする。誕生日までできるだけ、晴れている夜は走ってみよう。自分だけのために。

4月4日


4月3日

(ま)現在、17時23分。どんなに体調がわるくても何とか作れるおかゆを習得したり、具合がよくない時の『コジコジ』は酔ってしまうことを学んだり、雨が降るだけで動けなくなってしまうよわさを再確認したりして、根本的な体質改善と生活習慣の見直しをすることになった。部屋にこもって休んでいるとへんな夢ばかりみる。

4月2日


4月1日

(あ)通信制限がかかってしまい更新ができずでした。ご心配をおかけしました。あっというまに3月が終わって今日からあらたな年度。昨日は東京は夏日だったみたい。新潟は相変わらず寒かった。山にはまだまだ残雪があった。21日まで3週間少々の勝負、体力的にも気力的にも自分に負けないようにやり抜こう。わたしのメンターはイサナであり、中川夫妻だあ

3月31日

3月30日

3月29日

3月28日

3月27日

(あ)ひさしぶりにずんとなって火水と動けなくなった。東京の制作渦中以来かもしれない。左した瞼がびっくりするくらい腫れて、ぶるんとしている。怖くて調べたらストレスらしい。あの時と違うのは、ただ苦しむだけじゃなくて、計画が自分を守ってくれることにようやく気付けたこと。遅すぎだけど。瞼の腫れは治るのだろうか

3月26日

(ま)現在、23時丁度。一年前の今日、祖父をおくり出してからからことばにならなかったたくさんのものが少しだけことばになって、その頼りなさとたしかさがずっと全部が続いていることを物語っていた。よわくなったタイミングで家を出たらその後で急に雨足が強まった。

3月25日

3月24日

3月23日

(ま)現在、24時18分。熱が上がりきらず体調が落ち着いているときとよくないときが寝て起きるたびに交互にやってくる。それでも食欲がわきにわき、一歩も出ていないというのに普段の倍くらいの量を食べた。なんにもしていないのに。あまりにもどうしようもない。休むのに慣れていないのでやっと休むことに集中できるようになったと思ったら一日が終わっていって、置いていかれないように毛布に包まる。もの悲しくて自由で贅沢な春の日である。

3月22日

(あ)さっきまで渋谷にいたのにいまは新潟のホテルにいる。時刻は24時19分。用事がないと行かない渋谷に用事があったのでいってきた。思っていた以上にユニークな思考の表象のような作品たちが展示されていて、わたしのなかでずっと漠然としているデザインという領域の解像度が少しだけ上がった気がする。し、1つ、新しい発見を得ようと思っていったけど15こは新しい発見に出会えた。会場はとてもおしゃれな雰囲気で緊張したけどマドンナのお仕事に触れるという一番の目的を達成できてとてもよかった。まとめ冊子、ほしいなあ。2か月ぶりに会うマドンナは前にお会いした時よりもさっぱりした良いお顔をされていた。髪がとっても伸びていた。コンビニで茶碗蒸しを買って、チェックインをしてテレビをつけたら、見たかったユーミンのドラマの再放送がちょうど放映している。日頃の行いは決して良いわけではないけど、ありがとうと思いながら鑑賞。ひょんなことからホテルに宿泊することになったけど、なんかとてもいい。家にいるよりも家にいる感じでのんびりしている。劇伴が良いなと思ったら青葉市子だった。「誰かの幸せを願うときは自分が幸せなとき」だって。それもあるし、そうじゃないからそうあってほしいと願う(託す)ときもあるよね。

3月21日

(あ)送ってもらったニュージーの星空がまるで海のようで、本当に美しくて。写真なのに涙がこぼれる夜更け。そして今朝は、満員の丸ノ内線車内に緊急地震速報が鳴り響いて、少し手が震えた。幸い大きな地震ではなくて、本当に良かった。あと、知らない人でもだれが近くにいるって安心できるね

3月20日

(あ)どんなに人でなしチンピラであっても、TPOは弁えて行動や発言ができるそういう意味で優しい人であろうとは思った。暗室に来ていたのだけど、なんだか寒いし眠いなと思いながらいつの間にか寝てしまっていて、目覚めたら生理がきていた。早々に片づけて帰宅、今日はもう寝ようと思う。

(ま)現在、18時4分。すっかり逃げることばかり上手になって、というかそもそもそのよくない部分はずっと抱えていてそれが前に出たということであってともかく一つずつやるのだ。それしかできないじゃない。

これから今日二本目のライブに向かう。真っ暗な室外は強風で轟々とうねっている。目の前の木がしなって揺れ続けるのをガラス張りの内側から見ている。

3月19日

(あ)ひろこちゃん新居おめでとう

3月18日

(あ)初めて訪れた大岡山はなんだか既視感のあるのんびりした街だった。1月の少し時間があるときに7割勢いでえいやと申し込んで、(とはいえこれからの制作に繋げていきたいことではあるから楽しみにはしていたけれど、)いざ当日を迎えてみて今の自分の状況がこんなに忙しくなるとは予想もしていなかったもんで、ヒイヒイいいながら過ごしてしまった。どんなことにも言えるけど慣れるまではやっぱり大変そう、でもここに来なければ知らなかったいろんな資源や身の回りの捉え方を知ってとても学びになった。実践は5月以降になるだろうか。いろんな話を聞きたい。わたしだからできる題材でもあると思うから、焦らずじっくりとゆっくりと時間をかけて長いスパンで作品を作っていきたい。最終的な到達目標地点はもっと遠くて広いところだけど、ついに対(直接的な)あなた[ひと]なのかあ、こんなに早く向き合うことになるとは思ってみなかったなあ、こわいなあ、でもがんばる⌒。⌒

3月17日

3月16日

3月15日

(あ)8月から今の職場でバイト的なことをはじめてから2度のフロア引っ越しを経て、8階の窓辺の席に落ち着いた。もっとずっと高いビルはあれど晴れた日には広い青い空を望むことができる。向かいのビルは改装中で、斜めまえのマンションでは屋上でゆっくり休んでいる人がみえる。いつも不思議な気持ちになりながら身の前にひろがる光景をぼーっと眺めている。

3月14日

(あ)先々月くらいから会社の図書館に通い始めて、2週間で2冊本を読むようになったのでこれを習慣化させていきたい。見たい展示がたくさんあるのにまだ一つも行けていない。ちなみに先週借りたのは句読点辞書と、昔のインセクツ。テイクフリー棚にあったカント要約みたいな本もいただいてきた。これがわかりやすい。

3月13日


3月12日

(あ)無事に修了展示が終わってほっとしている。終えた今の私を少し好きになれた。今週は展示の振り返りをしながら過ごしていこうと思っています。みなさま、ありがとうございました。がんばっていこう。23時23分現在は、いただいたコーヒーを飲んでいます。暗室に通うために、『東京』を作るために東京に越してきてもうすぐ2年。いまは、東京にいる間は美学校に通おうとは決めているけど、いい意味で東京にいる理由がほとんどなくなったような気がしています。これからわたしはどういうふうになっていくのかな、わからないって楽しい。

3月11日

(あ)今日が近づくにつれて胸がざわつくことはこれからもずっと続いていくのだろうな。春になったら、遠くへ行きたい。

3月10日

(あ)昨年の個展と、LIGHTと、今回とで、個人的な話を作品として展示をするというのは3回目になる。在廊のあと、高校の友人とご飯を食べながら、よくもわるくも昔から私は変わらないという話をしたとき、(もちろん大なり小なり変わっているとは思うのだけど)もしもそういう節が少しでもあるのなら、取り上げる出来事や題材は違えど、どうしたって3作品とも同じような表現(アプローチ)になるし、着地点もきっと近いところになるな、そうなるな、と合点した。だから今はこれでいいのだと思う。なんでだろうとぼんやり思っていたけど、こういうことかと謎が解けた気持ちでいる。でもいくら変わらないにしても、いろんなひとのいろんなエッセンスをいただいての<わたし>が大前提ということと、変わらないからといって変わろうとしないことはしたくないなとは思う。ちょっと話がずれるのだけど、なくさない・手放すまいと思っていたものも、知らず知らずに離れてしまうこともあるということを知って、無意識(か意識的にかはおいておいて)に取捨選択をしていることを実感した。もちろんそれを呼び戻したりもするのだけど、呼び戻すまでに時間がかかったり、流れてしまった時間を埋めることもどうしたってできないから、呼び戻してもピンとこなかったりもする。かと思ったら、ぜんぜん思ってもみなかったタイミングで突然やってきて、これこれとなることもある。あれ、なんのはなしをしているんだっけ。もう1時30だ、寝よう

(ま)現在、20時22分。自分の部屋でほんとうに誰にも見せられないひどい生活がつづくとあるとき、そうだ、これを書けばいいしやったらいいんだ、という気になってそうすると作業に取りかかれる。なぜならそれが自分の現在であるから。どんなに醜くてもおおそまつでもしょうがない。それを開き直るのではなく、見てもらうものとしてつくるのだ。いつだってピンチはチャンスだったから。

3月9日

(あ)いつになく自信がなさすぎていたけど今日いける!となった。よしやるぞ。

3月8日

(あ)ひさしぶりに夜ご飯に牛丼をたべてみた。おろしポン酢にしたのだけど、おろしではなく粗みじん切りのような大きさで、思わず心の中でくすっとさせてもらった。

(ま)現在、24時丁度。頭ばかりが痛む人生を歩んできたので腹痛というものはほとんど馴染みがなかったけれど今月に入ってからひどい腹痛に見舞われてつづけていて「お腹がいたい」とはこんなにきついのかと驚愕している。病院へいかないと。

3月7日

(あ)

3月6日

(あ)朝9時半を過ぎた雨の赤坂。まだ一日が始まっていないようなしんとした空気。この霧雨の灰色な曇り空も太陽がなければ見られないものなのだよなとふと思った

(ま)現在、25時26分。決まってから今日をむかえるまでずっと緊張していたライブが夜にありそれはもうすこぶる楽しく、錚々たる先輩方にぼこぼこにされながら、もっと面白くなりたいと心の底から思った。今月はシビれるライブが多い。

3月5日

(ま)現在、26時5分。22時と書いてから4時間が経過してしまってあんなにつよかった雨音がすっかりおさまっている。

3月4日

(あ)

3月3日

(あ)けっこう傷ついたことを忘れずに、相手をなるべく傷つけない話し方をしようと思う。言葉やかかわり方をもっと知らねば。そして相手に伝わるような話し方をしなければ。反省ばかり。

(ま)現在、24時47分。不思議で強烈な気候の変動にめっぽう弱く風邪を引く前みたいな症状がしばらく続いておりドタキャンばかりしている。今日もしてしまったし明後日もするので連絡を入れなくては。夕食をつくる気力がなくてずっと寄りたかったお店を物色していると買うつもりでいたほうれんそうカレーをぶちまけてしまう。迷惑をかけてしまった全員のひとがやさしくてすくわれる。夜が少しだけぬるくなってきている。そう思いたいだけかもしれないけれど。

3月2日

(ま)現在、23時40分。ひさしぶりに届いた兄からのラインが1ヶ月インドネシアにいくということと、祖母がパソコンを購入してものすごい勢いで使いこなしているということでひどい腹痛が少しだけやわらいだ。

3月1日

(あ)読むけど、感情移入しすぎて読み進めるのがしんどくなってきています。昨日マット注文で初めてのところにお邪魔したのだけど、目を見て話すだけで泣きそうになってしまった。というより少し泣いたけどそういうことって結構あるよね。相手も私も当たり前だけど人間で動物やなあと思う。

2月29日

(あ)老後の楽しみに取っておこうみたいな感じで触れていない映画や漫画などがたくさんあるのだけど(それがかっこいいとおもっていたティーン時代)、わたしもいつ死ぬかわからないし燃え尽きてからそれに触れられる機会があるかどうかもそういう状況になってからじゃないとわからないよなと考え改め、触れられるうちに世界に溢れる素晴らしいクリエイションに出会わなければと唐突に強く思った。というわけでまずは超身近から、23巻くらいで止まっていた『進撃の巨人』に再び触れ始めている。「心臓をささげよ」「人は戦うことをやめた時、初めて敗北する。戦い続ける限りはまだ負けていない。」などという言葉が何度も反復されている。あくまで作品であることを一瞬忘れてしまいそうになるほどの吸引力と煽りのようなものをどうしても感じてしまうときがあって(それくらい面白い)、だからこういう劇しい言葉がこの作品の言葉として留まらずに、現実でよくない方向への一翼にならないでほしいなと一鑑賞者としては小さく思うところはある。とはいえやっぱりすごい作品だと思う。諌山さんは20歳とかで描き始めて11年もの長い間を、きっと楽しみながらもそれよりも何よりも苦しみに苦しみ抜いて完結させたのだと思うと脱帽以外のなにものでもないし<最初で最後の作品>とおっしゃるのがおこがましいながらもわかる気がする。いま再び鑑賞できて本当に幸せに思う。クリエイション思索は続く・・という2024、うるう年の昼下がり

(ま)現在、23時19分。一昨日記したことことは現在抱えている本質的な問いでこの問いを起点としてたくさんの要素が溢れてきたので、あおちゃんに連絡をすると切れ味の鋭い見解がかえってくる。明日はパイプユニッシュをしないとまずそう。ひとまず手を動かす。二月中にどうにかしたかったものはまだどうにもなっていない。限られたなかで自分のこの手で、どうにかするのだ。

2月28日

(あ)3月から学校のグループ展が始まるのだけど、今回で3回目になる。計画的に制作を進める人もいれば、わたしみたいにギリギリにならないとやれない(明確な方向が決まらないと焼けない)ひともいて、だからやれるひとがやれるときに(準備などを)やろうというスタンスがとても心地よい。ただの甘えと言ったら甘えなのだけど。会期中はできるだけ在廊したいと思う。写真のひとは受講(暗室利用)を継続している人が多くて、みんながどんなふうに一年を過ごしてきたのかとか、これまでの積み重ねを感じることができる(と思っている)からそれがすごく面白くてこのグループ展はそういう意味ではすごく楽しみなのだけど、一方で成長していない気がする自分に毎回出会うので悲しくもなるし、制作はやっぱりしんどい。どうしても自分に向き合わざる得ない状況になるので苦しい。どんどん前に進んでいくみんなを見送るような気持ちになる。まあその状況をわたしがどう感じてどう行動化していくのかが大事なのでそれはそれで良いのだけど。ちゃんと味わおうということ。とはいってもいつまでも慣れない。でもこれは慣れたときはお終いなのかもね。まだ準備終わってないので頑張ります。

(ま)現在、21時25分。今夜こそは絶対にたっぷり眠るのだ、と意気込みすぎて気が動転してどういうわけか朝ごはんにシュークリームを食べた今朝がもう遠い。

2月27日

(あ)「にんげんっていいな」とか「アンパンマンのマーチ」とかを最近はきいている

(ま)現在、24時丁度。休憩時間に店内をみまわって手に入れようと思っている本を一通り見たけれどどれも買う気にならず今日も買い物をしなかった。いま手元には『情報生産者になる』と『富士日記』がある。どうしたら自分を犠牲にせずに、相手に依存せずに、大切なひとといい関係を築いていけるだろうか。

2月26日

(あ)初めて出会ったのはいつだったか思い出せないけど出会った場所はたぶん喫茶室だった。すみさんの新しい場所は青空が広がっていてほしいなと思う。水色が似合う人だから

2月25日

(あ)ふと、なにもかもをやめてしまいたくなる時は誰しもあるよね

(ま)現在、25時4分。この頃めっきりスロースターターなので予定していた時間の二本あとの新幹線に乗って上越へ。早めに迎えにきてくれていた母とあれこれ話ながら昼食をとり午後の時間をどう過ごすか考えていると急に上田はバリューブックスが思い浮かび早速向かう。どのくらいだろう、26くらいのトンネルをくぐり抜けたあたりで雪に覆われた白い山々が見えてくる。上田には雨とみぞれのちょうど真ん中のようなものが降っていて、前にひろちゃんとりこちゃんと来たことを思い出しながら見覚えのある細い路地を入る。ほど近くに母から教えてもらった漫画に出てくるお店の名前と同じ喫茶店を見つける。この本はこの棚にあるのだね、と話ながら店内をゆっくりみていく。思えば読書の原体験は小学生のころに母とお風呂に書物を持ち込んで指先がしわしわになるまで読んで夜更かししたたくさんの金曜日の夜に遡る。「お湯に浸かりながら読むとね、楽しいのよ」とこっそり秘密を教えてくれるように母は笑ったのだった。

2月24日

(あ)15時過ぎ、お世話になった人の訃報が届いた。あまり手が進まず、しばらくぼーっとしていた。23時44分、コートをかけて帰宅して湯を沸かす。またぼーっとしてしまっている

(ま)現在、15時51分。どうしても逃げ出したくなるときがごく稀にあってそんな、出る前から負けることを恐れているものには闘う資格もない。ので思い切り自分を奮い立たせる。あと30分で出発しなければならないがパジャマ姿でベットの上、牛乳を入れずにフルグラを食している 。この無気力感もふかい落ち込みも極端な気候のせいにしたい。

2月23日

(ま)現在、10 時2分。目覚ましをかけずに消せなかったランプの明かりで目覚める薄暗い朝は、昨夜中だった締め切りの提出からはじまる。出せたことに安心してまた一眠りしてしまいいつ買ったのかとうに忘れているショートパスタを茹でてつつきながらパソコンをひらく。今日の気温を調べてロングコートをまだしまわなくてよかったと安堵する。電車の時間を調べる。昼食用にお米も炊く。これから部屋を軽く片付けて身支度をする。自分のことを犠牲にせずに他者といたい。ちゃんとひとりきりでありたい。携帯の充電器が見当たらない。岸さんがポットキャストの冒頭で〈わたしの下半身はジャージです〉と言う。言ったのをわたしが聞く。

2月22日

(あ)東京で多分一番好きな映画館で『14歳の栞』が上映されるお知らせをみて、クリープハイプの栞をほうんとうに久しぶりに聞いてみている。みにいこうとおもっている。たかが3年前、そんな昔のことじゃないのにすごく昔に感じてしまうのはなんでだろうね。CDとプレイヤーがなくてもこのちいさな機械ですぐ音楽が聴けちゃうのってやっぱなんかちょっと便利すぎてしまうね。そろそろお風呂入らないとね。

2月21日

(ま)現在、18時27分。ディスクにつけてしまった指紋の模様、引っ張り出してきたスーツに残っているあのころの時間、走り続けるための自分勝手な休息、それから得意料理。

2月10日


2月19日

(あ)新潟が晴れているときにはだいたいここには雨が降る。胃に何か入れなくてはと生姜焼きを食べたらおなかが痛くなって、さすりながら22時45分帰宅。手を洗ったらやかんの湯を沸かす、低めのふぅーという声が聞こえてきたら大きなマグカップたっぷりにあつあつの湯を入れて、冷めていく温度を楽しみながらすこしずつ夜をはじめていく

2月18日

(ま)現在、25時57分。根っこにあるものは全然変わっていなくて傷つけることにまた傷ついてばかり。ひさしぶりにバイブルを引っ張りだしては読み直している。背筋が伸びる。

2月17日


2月16日

(あ)早坂さんに詩集が難しくておもしろかった(的な内容の)話をしたら、なんとなくわかってもらえたようでうれしかった。何度も読み返そうと思う。永井宏さんの写真展が一番の目的で盛岡に2年ぶりにおじゃました。本当に素敵な写真展でまちがいなく今年片手に入るような展示だと思う。自分が知らない時代の知らない国の写真は、そんなことは関係ないのだとゆっくりと肩を撫でてくれるようなやさしさで包んでくれた。10月ごろ、新潟で展示しようかな

(ま)現在、21時21分。二日前くらいからひどくなっている生理前特有のもたつきがほとんどマックスに達して寝たり起きたり、一度横になると眠たくて起き上がれずほとんどベッドにいたが浴室のカビ防止剤だけ処理できた。ずっと家にいることなんてないのでこれは贅沢な時間だけれどだからこそ過ごし方がわからなくて持て余している。気を取り直して食材だけ買いに少しだけ外に出ると思ったよりも肌寒く、薄白い半月がたよりなくもうつくしい。日中のあたたかさと、日がくれたあとの冷え込みに身体が驚いてしまっている。気づかないふりをしていた親知らずが痛む。それも容赦なく。

2月15日

(あ)あほなスケジュールと分かっていてもやろうと思えるのはその先にある出会いや前向きな予感みたいなものを感じるからなのだと思う。そうして出会ったものが自身にどう影響を与えてくれるのか、はたまた変わらないのか、その繰り返しも<わたし>を作ってくれているのだと思う。その中でたくさん失って、たくさん手放したものものもたくさんあるけれど、そうじゃなきゃ分からなかったもの(つまりいまここにあるもの)をちゃんと抱きしめていよう、いやそうであるべきなのだと思う。それは日々移り変わるとても儚くて繊細なものだから。先日購入した詩集がなかなか難しくておもしろい。

(ま)現在、23時20分。大学生のときに母といっしょにみたインド映画に登場する伝統菓子を数年越しについに発見した話をすると彼女は「そんな予感がしていた」と言ってまったく関係のない話をはじめた。

2月14日

(あ)どうしてもムーランのナポリタンが食べたくなって、髪を切った後に古町へ向かった。200円ほど値上がりしていたけど、相変わらず破格でボリューミー。サラダのドレッシングのピンクオレンジ色、ちょっと堅めの麺。ああ、これが食べたかったんだよなと、味わいながらいただいていると、おかあさん近寄ってきてくれて、もしかして、そうかい?と声をかけてくれた。学生のころ、ムーランで過ごした時間が一気によみがえってきて、少しだけ泣きそうになってしまった。元気でいましょうと笑顔で別れた。

(ま)現在、6時31分。眠気に完敗してしまって5時ごろ目を覚ましてシャワー、おはよう日本をつけるしずかで暗い朝はいつぶりだろう。昨日のアルバイト終わりに向かったネタ見せが散々で公園に寄る。左脇に穴のあいた半袖Tシャツで逆上がりをするぼんちゃんの背中をながめながらマフラーを巻いたわたしはふるふると震えていた。話してもわからないこともあれば、わざわざ口にしなくてもとっくにお互い気づいていることもある。言葉を交わすこと、交わさないままでいること。語られること、語られないこと。ずいぶんと関係性も変わったし何より相手も変わったように思うけれどたぶん同じようにわたしも変わっているのだ。その上でどうするのか。ランプのひかりに外の明るさが段々と追いついてきている。

2月13日


2月12日

(ま)現在、26時4分。マヘルを見に行ったら会場が月に2回くらいライブでいくところのちょうど向かいにあって、いつもはそこに夜でも昼でも並んでいるひとを横目に会場に入るのだけれど今日はその、昼間に並んでいるひとにわたしがなってすぐに移動してしまう日向に合わせて動きながら開くのを待った。なつかしい人にもばったり会う。春が我々の少しうしろに並んでいた。

2月11日

(あ)充電11パーセントで深夜バスに乗るまでにどうにか更新しようと喫茶エジンバラというお店でこれを書いている。3日間に及ぶ岡本仁さんキュレーションの盛岡ポップアップショップが無事に終了した。まいちゃんが9日、わたしが10・11日とお手伝いをさせていただき、店頭に立たせていただいていた。新宿ニューマンに吹く盛岡の風をそばで感じられるというわたしからしたらただただありがたすぎる2日間であった。なんのお話をしようと考える余裕もあまりなく本当に大盛況で、岡本さん、早坂さんを筆頭にチーム盛岡の衆望というのかモテモテぶりを身をもって感じて、こちらまでほくほくする気持ちで過ごさせてもらった。ありがたいことに『東京』を手に取ってくださる方もたくさんいて、自分の手からお渡しできるありがたみ/幸せも久しぶりに体感させてもらった。だからこそ、お取り扱いいただいている書店さんのお顔が浮かんでもきた。そのご、随園別館という北京料理店でのディナーにご一緒させていただき、おいしい北京料理をごちそうになった。そこでのみなさんの関係性というか信頼しあうような嘘のないそのまんまの表情がすごく心地よくて、なんだこの空間はと慣れない突っ込みをひとり入れながら話を聞いていた。もちろん話の内容は非常に学ぶことばかりであった。やー、自分の舞台を作りたいなと思う。制作、がんばります。みなさま本当にありがとうございました。

(ま)現在、24時46分。勝負に打ち勝った帰り道にさっき大勝負に勝ち進んだ先輩にばったり出くわすように、思いもよらないところでひとに出会って思いがけないことが起こり続けている。それでいてどこかはじめから決まっていたような気もする。今のせいかつを抱きしめて生きてゆきたい。

2月10日

2月9日

(ま)現在、23時59分。今年の、というか今後の人生の目標である10点でいいので即レス、帰宅した瞬間に入浴をなにも考えずに遂行する。早坂さんの大きな背中にいろいろなことを考えながら後ろ髪を引かれるように座高円寺へ向かう。思っていたよりはるかに大スケールの3時間近芝居に劇場の暗転だけが教えてくれることを思い出す。5月にアゴラ劇場が閉館する前に足を運ぼう。

2月8日

(あ)バスの方が安いしバスにしよ~と軽い気持ちで予約していた割引新幹線をキャンセルしたのが先週、今朝はバスの出発時刻に起床してしまい、いつもどおりの感じで一日が始まった。結局予算とんとんなかんじになってしまったけど、朝発っていたら持てていなかったもの、あったら便利なものに気づけて用意できたのでよかったとしよう。いまは新幹線の中である。車内が暑すぎてソバーTシャツ一枚になりました。今年もあちこち移動する一年になりそうだなあ。

(ま)現在、22時11分。昨夜はすこしだけ、今夜は寝たりしない大丈夫、と思って横になったがさいご、電気のついた室内でお化粧も落とさずに眠りに落ちて気付くと9時、いい日差しが入ってきている。ここの更新も締め切りも読書もできずにまた夜の時間を溶かしてしまう。何度やってもやってしまうからいいかげん夜の自分を信頼しないよう、再三だがここに記しておく。バレンタインにかこつけて遅くなっているお返事をかこう。

2月7日

(あ)あちらこちらにまだこんもりした溶けのこりたちがいらっしゃるのをよそに、そんなことなど忘れてしまったわいといわんばかりの青空がここには広がっていて、今日がまた始まっている。だれかが「この街は目的もなく居ては何かに飲まれてしまいそう」と記していた。目的があってもなくてもいろんなものを飲み込んでは無情なほど吸収していくよ、ここは。でも、そうじゃないひともいるし、そうじゃないものももちろんちゃんとある。わたしの場合はここにいるということが自分自身と、目に見えない大切なものたちへの反抗でありそれ以上に挑戦なのだと思う。たのし~、がんばらなきゃ~

2月6日

(あ)他方への外出が多く、ずっと受け取れていなかったブックナードで購入した本を先ほど受けとった。導かれるように自然に読みすすめてあるひとの反抗期で涙が流れた。わたしはこういうものが作りたいのだと思う。

(ま)現在、23時47分。この間は火を出してしまって今日はただ急に爆発をして見てみるとレンジのなかで見たことのない部品が破損して砕けている。木っ端微塵というくらいなら諦めもつくけれどひどく地味な破損であって、それでもバナナケーキ自体にはなにも被害はなかったのでわたしは一口食べた。レンジのなかで猫をあたためて裁判に勝ったひとの話を思いだす味だった。

2月5日

(あ)はじめてスノーシューズを履いて山を登った。ここには雪がふらないから冬を体感しにいったようなそんな一日だった。勇気を振り絞って撮らせてくださいとお伝えして撮らせてもらった3枚はイルフォードにどう焼き付いているんだろう。現像するまではやっぱり緊張する。そばにいてほしいあるいはそばにいたいと思いながらも気分で相手を離したり引いたりする心理(ここでいうのは心情のほうが適切かも)は弱さからくるものなのだろうか。もちろんそんなひとことでは表せない複雑なものではあるけれど、仮に弱さだとして、その弱さはどういう経験や環境から生まれるものなのだろうか。はたまた生まれ持った性質なのだろうか。曖昧さの扱い方ってとても難しいものだなと思う

(ま)現在、23時56分。はじめて耳にしたときから何度も頭を駆け巡っているリフをつくった本人から教えてもらって、長谷川時夫さんの特集をみる。外でふられている雪のことを思いながらあたたかい部屋で過ごす年末のような月曜日である。

2月4日

(ま)現在、22時13分。ねむい目をこすりながらなんとか集合時間に場所着くと案の定そういうときに限ってぼんちゃんは遅れてきていて、それがもっとも我々らしくて落ち着いてオーディションに臨めた。あたたかい地下鉄のひとの歩いていない日曜日のホームでネットでお買い物をする。先に終わった先輩が待っていてくれてなんでもない話をしながら、あの場でしかできない話をしながら同じ電車に揺られる。帰ってからスープを作ってお洗濯をまわす。きれいにしたいものはきれいにならなかった。明日からかなり冷え込むようなのでロングコートを羽織る。3人でギターを弾く。あるひとが〈まいちゃんズ〉と言って笑う。ここにはどうしたって現在しかない。それはもう、かなしいくらいに。

2月3日

(あ)昨晩信頼のワークマンにいくために久しぶりに西荻にいった。途中かわいい花屋さんを見つけて、チューリップを連れて帰ることにした。一番好きな花が並ぶ季節だけど、チューリップの光を追う自由なのびが気持ちよくて、最近の気分で選ぶことが多い。先々週迎えた新潟産のチューリップはそろそろ散っていきそうなので最後まで見守りたいところ。ワークマンでは実家のレインパンツを東京に持ってきていなかったのでお目当てのレインパンツ(1500円安い、ありがとう・・)と長靴(高クオリティ折りたためるやつ3500円)をゲットして両手にそこそこの荷物で帰宅した。そのまま眠り、朝4時30になんとか起き、シャワーを浴び、それから髪を乾かしたり準備をしたりなんなりで、1年ぶりに駅まで走ってしまうという反省から始まる2024年の節分の朝であった。けれど走ったおかげで本当にギリギリで電車に乗れて新幹線にも乗車できた。とはいえここ近年一年の目標に掲げている「駅まで走らない」を守れなかったことはとても悔しいので、これは鬼として豆と一緒に外に投げて、引き続き駅まで走らない生活を送ろうと思う。始発の下り上越新幹線は、滑りに行く老若男女で溢れている。が、しかし、板が大きいから場所をとることはわかるけど、この満員車内で譲り合いはできないのかと静かに怒っている。これはおかしい。そんな気をよそに、日の出とともに今日も今日がはじまっていく。

(ま)現在、12時41分。6時半に目覚めてすこしころころとしたあとにすっかり二度寝していて10時ごろにうどんを食べる。少し前に教えてもらった「ねこぢるうどん」がすごすぎてこの人生においてうどんを食べるときにはもう毎度思い出してしまうのだと思う。たしかにわからない未来のなかにいて想像もしなかったものに触れている。そんなひびはこころが踊る。今日は出会ったときからずっと一番かっこいい中森さんの展示へ行く。

2月2日

(あ)昨日のまいちゃんの「この部屋の更新はしないだろうから」について、わたしはどうなんだろうと考えた。「それは自分の20 代を振り返ることにも接続されていて、」って考えもしなかったことだから、そうかあそうだよなあとなった。来年のいまはどこでなにを考えているんだろうね。どんなあなたに、どんなわたしに、どんな音楽に、どんな映画に、どんな感情に、どんな景色に出会うことができるだろうか。未来はわからなくて、不安で、自由で、楽しいね

2月1日

(あ)あれこれをしながら気づいたら眠っていて、バイトに行く30分前だった。それからシャワーを浴びたりなんなりして今これをかいている。先月半ばに新潟に帰った時にメガネの調整をしてもらってから、瓶底レンズを脱却したので最近はコンタクトを使わずメガネをかけることが多い。乾燥(混合)肌なのでマスクをしていると、メガネが曇るのが困りものであるが、メガネはいい。気づけば一人暮らしを始めて一年がたった。昨年の今日、twililightさんでの「東京/今日を生きのびた」が終了した。あれから一年か。昨日はことし片手に入るであろう嬉しい出会いがあって、仕事がきまりそう。「作る」ことにわくわくしたのは久しぶりだ。今年は沖縄に行くかもしれません。たのしみ!がんばろう!わくわく!(フィルム買います)

(ま)現在、18時49分。わずかだけど有給があることがわかったので思い切って休日にした二日目の今日もごはんをつくって食べてねむって、さきほどやっと起き出してパソコンをひらく。年明けくらいからこの人生でやっと自炊をするようになって今日は肉だんごと玉ねぎのスープ、昨夜はチキンともやしの炒め物とじゃがいもを食べた。気合を入れて1キロの韓国キムチを買ったり大量のほうれん草を買い溜めできる業務用スーパーはすごい。近くに2軒あるのもありがたい。この部屋の更新はしないだろうから1年後にはまた引っ越しということになりそれは自分の20 代を振り返ることにも接続されていて、ほんとうに飽きもせずよく引っ越しをしたものだと思う。送った3分後に祖母からラインがかえってくる。トワイライライトさんでマドンナから贈ってもらった落合さんの『浮きて流るる』をしばらくぶりに開く。ゆりさんの寄稿文に涙があふれる。またである。

1月31日

(ま)現在、24時22分。早起きしようと意気込んでいたのに結局ころころとねむってしまい9時ごろに起きて朝食。それからも重い腰がなかなか上がらずに結局お昼前くらいに家を出る。チェキのフィルムが欲しかったのにどこにも売っておらずこんなに店頭在庫がないことに驚く。街の座っちゃいけないところで小休憩をしていたら先輩が通りかかったがそのまま歩いていく後ろ姿を見ていた。髪の毛の揺れ方がきまっている。『富士日記』を買ってもらってとてもうれしい。やっとだ。やっと読むのだ。お年玉として譲り受けたテレビは今日も繋がなかった。

1月30日

(あ)銀座に降り立っている。

(ま)現在、24時10 分。昼寝をしてしまっていきたかった場所にいけずじまいの午後だったが、集合には余裕があったので下北のヴィレバンを冷やかしていた。すごい情報量とにおいと音を感じながらねむりすぎた頭が段々起きてくるのを感じながら街を歩く。ぼんちゃんと古着屋をみていると思いがけないところからの着想がいくつもあって思考やことばがまた一つ自由になるような、そんな思いになる。ライブ終わりに待ってくれていた方々と話しているといつだったかあさちゃんと下北で過ごした夜のことが思い出されて、わたしはひとりっきりになりたくて急ぎ足でふかい小田急のエスカレーターをくだる。オリオン座がみえる。

1月29日

(ま)現在、24時40分。おうちでお菓子づくりなんて小学生のときぶりで、あの頃は授業参観で母がおやすみを取ってくれていたスーパーレアな平日に親しい子を呼んでクッキーを焼いたりクレープを焼いたものである。ピングーのクレープ焼き機ははたしていついなくなってしまったのだろうと考えながら手で生クリームを泡だてていると「日が暮れるぞ」と声をかけられて元気がでた。はじめてのモンブランはとても人様に渡せるものにはならなかったがうまくいかないのもおもしろい。あさちゃんがいつかつくってくれたバナナケーキのことを思い出しながら先日譲り受けた湯たんぽを今夜おろす。星がつよい夜である。

1月28日

(ま)現在、9時32分。夕食を食べてひとやすみ、と思ったらそのままねむってしまっていてお化粧もおとさないまま先ほど起床、まずこれをひらく。書き残しておきたいことが山ほどあった昨夜とその前夜だったのに今日になってしまったけれどそれらの時間のつづきに今もいる。昨日のアルバイトでつかれきっているといつもくるカードの取り出し方がシャキーンのお客さんが来て、今日こそあのシャキーンを見せてくれ、と思っていると今日に限ってマイルドな出し方でそんなに人生はかんたんじゃないよなぁと思う。たくさん受け取っている。古栗をまた読み出した。

1月27日


1月26日

(あ)昨晩24時ごろ帰宅してそのままベッドに入り気づけば6時36分だった。次に目を開けたら6時51分。検便の提出は諦めて、あたふたとシャワーを浴び、準備をして東京駅へ向かった。自由席は思ったより空いていた。気づけば降りる15分前になってて、一時間半はあっという間なのだなと思う。昔は電子機器がなかったわけだから、この美しい雪化粧をまとった外の景色を眺めたり、写真を撮ったり、本を読んだり、おしゃべりをしたり、お酒を飲んだり、そんな車中での過ごし方が当たり前だったんでしょうね。選択肢を狭めているのはわたしたち。時代も変わったけど、それ以上にわたしたちが変化していっていますね、よくもわるくも。豊かであるってどういうことだろう。となりの座席のひとが忘れていったペットボトルがゆらゆらと揺れている。

この雪景色を見るたびに雪国に生まれてよかったといつも思う。

1月25日

(あ)昨日、いい夜だった。8000円もしたビリーのスノードーム。ゆみちゃんありがとう

1月24日

(あ)少しは鼻水も落ち着いてきた。広島で買ったコーヒーがもうすぐなくなる

(ま)現在、24時7分。一冊の本でわたしの運命はまったく予想していなかったほうへと動き出したのだということを再び実感する夜だった。一つの星と一つの月を見上げて帰路に着く。ここで生きている。

1月23日

(ま)現在、25時7分。驚くほどわたしにはまだまだ知らないことがたくさんあって、というよりも知っていることなんてほんとうに、ほんのごくわずかでしかないのだということを今日また実感をともなって知る。わたしは自分とそっくりな髪質のひとに出会えたらどんな状況でも声をかけるだろう。ライチはまた売り切れで、前に代わりに買ってみた冷凍みかんにはまだ手をつけていない。

1月22日

(あ)昨日更新できずしまったとおもっていたけどまいちゃんが更新してくれていた。ありがとう。家を出る気になれず鼻水もとまらないのでおとなしく家にいてウーバーイーツとやらを頼んでみた。夜はおもい腰(おしり)をあげて八百屋に行き、デコポン4つ690円と有田みかん篭盛り250円×2を購入。デコポンは成田山(門前仲町)のとこの4こ290円が破格だったなあ、もうないんだろうなあ、でもまた行きたい。4つ690円もけっこう安い方だとはおもう、熊本のシールはってあるし。東京にきてからスーパーではなく八百屋さんにとてもお世話になっている

(ま)現在、24時20分。新潟においては晴れと呼んでいいだろうという天気のなか歩いてモーニングをしにシャモニーに向かう。途中にある大きなコインランドリーがセブンイレブンだったとき、あそこで同級生のお姉ちゃんかつわたしの部活の先輩はアルバイトをしていた。東横インの前ですきなギタリストに声をかけたときはひろちゃんと一緒にいたし、あの通りの皮膚科で生まれてはじめて脱毛をした。昨日連れ帰ってきたかんださんのお人形はこの部屋によく似合ったし、りこちゃんからもらった靴下もしっくりきている。足りないけれどいい帰省だった。あさちゃんこちらのほうこそいつもありがとう。わたしも段々思い出してきたよ、ここの感じを。窓をあけても不思議と今夜はそんなに寒いと感じない。

1月21日

(ま)現在、22時32分。13歳のときに「俺は両方の小指がこんなふうに曲がっている」と毎日のように全然たのんでいないのに見せてくれた山本のことを幕が上がってすぐに見つけた。中学校を卒業して結構時間は経ったけれどこんな風に舞台をみれてよかったし何よりその根性はどう考えてもすごい。一生のおねがいを思いっきり使ってくれる友人がいるというのはうれしいもので、新潟のつめたい雨にあたってもこころがあたたかい日曜日だった。かんださんとLightの打ち上げでお話したことを再びお話させてもらったのもよい時間であの日に見た星のこともよく思い出す。youtubeにあたらしいネタ動画をあげたら登録者数が減って、自分でうしろの髪の毛を切ってみた。どんどんとんでもないヘアスタイルになっている。

1月20日


1月19日

(あ)レベル2の大砲と両肩に鞄を担いでパソコンをしながら歩いている。リップと携帯しか入らない鞄を持って出かけるかわいい女の子には一生なれそうもない非モテことわたしすぎる。暑すぎてTシャツで移動している。わたしも少々疲れている。あした人間ドッグなのに。ものもらいできた

1月18日

(ま)現在、1時55分。昨日作った豚バラ大根をおべんとうにつめて食べているとなんだかとてもいい気持ちになってこういうことをもっとしたいと思いながら過ごす。休憩時間はいつだって始まったかと思えばもう終わってしまう。先日ぼやを起こしてしまってその炭にお手洗いで再会した折にはずいぶん驚いたけれど嬉しさもあった。この前の石拾いのコンセプトは〈星がぴゅーんと地上に降りてきた、みたいな石〉だったのだが、それに通ずるものが炭にはあった。少々つかれている。炭は分解されないのだ。

1月17日

(あ)昨日のトークショーで「美意識は共有は危険だよね」てきなことを話されていたけど、ここ最近マドンナとこうさんと話していたことでもあったのではっとした。とても興味深くて勉強になる1時間少々だった。おなじものをなんかいもなんかいでも繰り返してしまうことに悩むこともあるけど、それでいいんだなと思えた。これからもひとの話をちゃんと聞いて、ちゃんと聞かない。でもちゃんと聞く。

(ま)現在、1時42分。新年の目標の一つに早寝早起きがあったのだけれどもう既にこのところ夜がながい。昨日は夜通し起きたままバイトに向かってそのまま白目向きながらなんとかこなしたけれど何度やってもまたやってしまうし、この先もやってしまうのだろう。いまはこんな深夜に霜降り明星のはなしをしている。愛咲子ちゃんから送られてきた写真がらしくてよかった。

1月16日

(あ)寝ても寝ても眠れるし、ここ何日も変な夢も見てしまうし、なにかあるのでしょうか。今日は胸に大きて太い一の字の赤い痣のような内出血をみている状態の夢を見た。しかもわたしではなく知らない男性の胸(多分外国人)にありました。結構不気味です。みなさんの最近見た夢は何ですか。

1月15日

(あ)わたしいまほぼたばこだな~と思いながらいつのまにか眠ってしまって、朝シャワーを浴びた。最近つかっている竹ノ内さんのトートもたばこのままで出勤した。マフラーだけはファブリーズを吹いたけどまだまだたばこのままで電車では酔った。タバコが身近の環境ではなくなって5年ほど経つので臭いなと思ってしまうのが正直なところ。高校生の時、副流煙というくそルールがあるからたばこは嫌いだと言っていた子は当時からお付き合いしていた方と昨年?結婚したようでおめでとうと心の中でお祝いしたことを今ここに記す。(帰ったら写真載せます。)

1月14日

(あ)昨日ぐらいから我を取り戻し始めていて、今日しっかり我にもどることができた。おみやげはたばこのにおいと、マドンナからおとし玉をいただいた。大切にガシガシ着させていただこう。朝から夕方までの会合、長い助走みたいな時間だった。ひとりと、ひとりだから過ごせる時間がなんかすごくよかった。やっぱりひとりはいい。ひとりだからふたりになれるし、さんにんにもなれる。「わたし」が「わたしたち」にならないのもよかった。何言ってんだって話ですが、ありがとうございました。

夜は超ひさしぶりにユーチューブをひらいて昔よく見ていたダンス動画のチャンネルを視聴した。応援していた人らの更新は一年前に止まっていたけど、最後の更新が嵐の「サクラ咲ケ」でこれまた楽しそうに踊っていた。ひとり、身体が大きくて浮いてしまうことが多い子がセンターに配置されているターンでは、これまでの動画でいちばんたのしそうに踊っているように思えたのとその子のひとり立ち感もなくとてもナチュラルでなんだか嬉しくなった。そのあとのまいちゃんの元推しがセンターのターンではそのひとの美しさが際立つようなダンスですこし感動した。コレオグラファーはATOさんという方だった。ダンスは身一つでの表現が裸んぼでいいなあと思う。リコちゃんのダンスもまたみたいなあ

1月13日

1月12日

(あ)いつもなら27時とするところを今日だけは3時とした。というのも昨日東京で一番かっこいいひとから連絡をいただいて、いろいろな勘違いを経て、夕方バイト終わりに飯田橋へ。すでに搬入は終わっていて、日高屋に合流させてもらった。気づけば8時間一緒にいた。本当にたのしい時間だったし、やっぱり東京で一番かっこいい人だなと今日も強く思った。相乗りさせてもらった帰りのタクシーでも、大好きな人がいい展示だと思うんだとほろ酔いの中で2度つぶやいていた。優しい横顔。あまりにも忘れたくないなと思う夜だったのでここに記しておく。こうさんともさらに仲良くなれた。好きな服が買えなくても靴が買えなくても美容室にいけなくても一生独身でも結婚してもずっと、わたしは変わらずに写真を続けていきたい。そう思えるものがあって幸せで、そう思わせてくれる大切なひとが何人もいることがわたしにとってのほんとうの幸せだと改めて認識する。比べるのは他人ではなく、昨日のわたし。がんばろう。それにしてもお二人とも、どうしてこんなにもかっこいいのだろうか。かっこいい理由なんてわかっちゃいるけど、どうしたもんかね。とはいえ深夜のテンションでマドンナには多大なご迷惑をおかけしてしまい、ほんとうに申し訳なかったと思っている。(ふたりからマドンナの弟子と言ってもらえてうれしかった。弟子と胸を張って言えるようにあろう)

(ま)現在、23時47分。 イーユン・リー『千年の祈り』を行きの電車で読んで気がつくとわたししか車内にいなかった。ほかに誰も降りない電車を降りてみんなと合流して2時間ほど河原を歩く。途中で川の中に下半身をぜんぶつけて釣りをされているひとがいた。ディズニーシーの洞窟くらい暗がりの店内でラーメンを食べる。時間がなくて歩きながら石を見せ合って、「思ったよりも素朴な石がすきなんだね」と言ったら笑ってくれた。変わるのには時間がかかる。それでも何か、少しずつ。数日前にでた銀のエンゼルのことがまだうれしい。

1月11日

(あ)ひろこちゃんが東京の家に遊びに来た。来てくれてありがとう。

(ま)現在、25時42分。熊谷さんから最近読んだ本のはなしをきいて発売されてから欲しいと思っていた1冊を手にいれる。今に合うと思う。愛咲子ちゃんとマドンナと、それからゆーてぃと行ったタイ料理屋さんにいく。随分ひさしぶりである。このお店ではいろんなお話をする。してしまう。先日いただいたお洋服の中からとりわけひろこちゃんが好きそうなものを身につけていくと、案の定いっしゅんで彼女は目の色を変えた。明日は10 時から石を拾う。

1月10日

1月9日

1月8日

1月7日

1月6日

(あ)旅ではいつも、中盤くらいで家に帰りたいなあ(これは後ろ向きな気持ちではなく)と思うのだけど、今回は帰りたくないなとおもった旅だった。とくに広島市内は28年生きてようやく行くことができて、それからずっと考えている。12月30日に一度訪れたとき、資料館が閉館していて平和公園を歩いていたけど心残りで旅の終わりにもう一度広島へ資料館へ向かった。外国人観光客が5割くらい、館内のメインスペースは渋谷のスクランブルくらい混んでいて全部見れたかといえばあやしいけれどそれでもここにいるひとたち全員で同じものを見、同じことを思い、同じことを考える時間だったように思う。偶然訪れた島根の美保関でも海軍戦艦の訓練中に起きた悲しい事故で失われた109のいのちがあったことを知った。まだまだ知らない知るべきことであふれている。知りたい、学びたいと思いながら一瞬で消え去ったひとたちを思うと、いつそうなってもおかしくない状況になりつつあるのはやっぱりおかしくて、間違っているのだと思う。みんなで選挙にいこう。

無事に東京に帰ってきました。今回もおかげさまで無事故無違反でした。見守ってくださりありがとうございました。そして急遽、最近元気がないという祖父を笑わせるために新潟にかえってきました。

1月5日

1月4日

(ま)現在、18時50分。見送りにいくついでに遅れている家賃を払おうと思ったけれど残高が足りなくて一度家に戻ってから振り込みをする。日があたっている道はあたたかくて春のような睦月だと思いながら大きな道路の信号を待つ。向かっている途中にコートを脱いで冷えたけれどもう一度羽織るのがめんどくさく思ってしまって寒い思いをしながら建物に入りいつも通り混んでいる8階の、ひとつだけ空いてた端っこの席に腰をかける。めったにおろさない髪の毛をおろしてみて気づいたが髪の毛というのはとてもあたたかい。金井美恵子の『岸辺のない海』を読んで、ふと頭に浮かんだひとの名前を携帯にメモした。そのひとを思っていたことがはるか昔のように思えるけれどそんなことはない。そんなことはないしそうでもある。

1月3日

(ま)現在、11時18分。目覚ましをかけずに気付くと10時前でお洗濯物をまわしてお茶を淹れてこれをひらいている。年末にこの頃どうしているかと思って、と言ってひさしぶりに連絡をくれた方々が何人かいてわたしも書こうと思っていた手紙を書こうと思う。潮田さんの『マイハズバンド』を今日もひらいて、展示のフライヤーに大きく使われていた1枚がやっぱりわたしには大切である。窓ガラスが結露していて干しているコートが少し濡れてしまっていたので外に出す。写真を撮りたいと思うことが増えた。

1月2日

(あ)昨日は地震が起きる数分前にちょうど出雲の海にいて写真を撮っていて、ここでも福井のような波が立つときがあるんだなとしばらく眺めていた数分後に地震がおきた。家族も友人も何人か連絡が取れて無事が確認できた。2024年辰年、いろんなことが起こる一年になりそうだけど、出雲大社で引いたおみくじには努力は裏切らないので努力し続けなさいと書いてあった。がんばろう2024年

(ま)現在、18時25分。ライブ終わりに新幹線に飛び乗って帰省する予定だったけれどやめて、今は東京の部屋にいる。昨夜は同期の集まりの会場で流れている石川県を中心とする地震のニュースをながめながら話をしていた。いろんな人に大丈夫かと聞かれて、家族は無事でいると返した。新潟駅に降りたときに冷たい、しっかりと意志をもった風が頬にやってきて、それで2時間の移動でほてったものがすーっと引くあの感じ。あの感じのことを今日は考えていた。

しばらくあいてしまったのですがまた毎日をひとつずつやっていきます。今日ははじめて同じ建物に住む方にお会いしてお菓子をいただいたり脱毛をしたり、とんでもなくかっこいいミュージシャンを教えてもらったりしました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。いつもありがとうございます。

1月1日

(あ)喪中なのであけまして。今年もよろしくお願いいたします。たくさん書きたいことはあるけど、ここにいる間はアウトプットでなくインプットに注力していきたいので短いあいさつでお許しください。石見銀山のほうへ車を進めます

12月31日

(あ)ご縁を大切に、来年も健康で写真を撮りたい。みなさま今年一年もありがとうございました。もうすこしここに滞在をして思索の旅を続けながら、4日くらいに帰ります。

12月30日

(あ)朝7時に京都を出て、鳥取を経由して4時間、けっこうそれなりに飛ばしてREADANDEATさんの年内最後の営業に向かう。なんとか17時過ぎに着いた。古いビルの階段を上がり右側の2階、素敵なガラス扉を押し入るとあたたかな電球色の店内に本たちが並んでいた。『東京』はまだあるのかなと片隅に置きながら本棚をみていてびっくり仰天、面陳してくださっていた。(反射的に写真を撮ってしまった。)棚は詩歌や写真のところでもなく、都道府県の本棚のところだった。ちょうど追加注文してくださっていたところだったと優しく教えてくださった。切らさないようにおいてくださっていると思うとほんとうにありがたくありがたくて。ただただありがたい。いいお店だったなあ。ちょうど開催中だった展示も最終日で愛さんがいらっしゃっていろいろお話もできた。とてもよいタイミングでお店に伺うことができたけどまたすぐにでも行きたい。広島についてはまたちゃんとしっかり書こうと思っている

12月29日

(あ)2年ぶりの敦賀、天橋立の景色。たった2年の中で、変わってしまったなあと思うこと、変わらないなあと思うことに出会う。ふと10年後20年後、わたしとわたしの周りの人たちとの関係性はどう変化しているのだろうと考えてしまった。いまを生きることで精いっぱいなはずなのにふと考えてしまった未来に、あのひとやあの人、あのひとはそばにいてくれるのだろうか。自分が大事にしたいことを選ぶことは何かを手放すことでもあること。手放すことはとてもとても苦しいけれど、シャッターを押していて、このちいさな行動がこれがいまは一番大切なんだと思う。

12月28日

(あ)東名高速の交通量アンド事故遭遇率が関越・北陸道の倍以上だった。何回ハザード出しただろうか。(発つ前の写真、無事の帰還後にあげたい、事故なく帰れますように)

12月27日

(あ)昨夜24時前に帰宅してベッドに入って、気づいたら家を出る時間だった。久しぶりにしっかり気を失うようにダウンしていたようで、遅刻しそうという焦燥よりも自分らしさに久しぶりに出会えたことを嬉しく思う朝だった。

12月26日

(あ)あっという間にクリスマスも終わり、年末。年明けの予定がぼちぼち決まりだした。しいたけ占いを読んでみたらいいことが書いてあったので良かった。前にひろこちゃんとコンビニだったかで一緒に読んだ本には来年の運勢が最悪みたいな感じで書いてあったので、しいたけさんはそれ比べるとずっと優しかった。いい年にしたい。目標は、時間配分を考える。メリハリをつける(やるときは全集中、やらないときは全力でだらける)それから東京に引っ越して半年くらい経ってからずっと目標にしてなんだかんだ達成している、「駅まで走らない」は今年も継続していきたい。みなさんの目標は何ですかね、なくてもいいけどあったら知りたいな。

12月25日

(あ)クリスマスだから電車も空いているだろうという希望的観測でいつもより遅めの電車に乗車。案の定空いていたので座れたし、遅刻もせずに出社できた。会社の先輩にランチに連れて行ってもらったけどなかなかにChara感のあるお店でとてもよかった。ちなみに好きか聞いてみたら中学生から好きとのことで、お店のCharaぽさを共感しあいながら笑った。これだけでいいクリスマスでありがたい限り。だし、昨日最高のクリスマスプレゼントなお知らせをいただいたのだけど、今年一番うれしいニュースだったかもしれない。来年は新潟と東京の2拠点生活になりそうでワクワクしている。取り柄:フットワークの軽さ、特技:移動

12月24日

(あ)今朝というか昼、この写真を撮りながら小指の位置に穴が空いていることに気がついた。というのも、昨日は坂崎さんの展示を見に銀座へいき、その後牛腸さん関連の展示に恵比寿へ向かい、その後も夜の新国立美術館まで歩いて移動して明日までの会期の展示を見ました。たくさん歩いてかかとが痛くなり、途中足をみたらかかとの内側のゴムのようなものがとれていて、それがひっかかって靴下に穴が空き、かかとの皮膚がむき出しになってしまって靴擦れを起こしたようなのでした。(という詳細な靴擦れの記録)そんなこんなで朝靴をみたら、案の定かかとから出血したであろう血液のシミがあり、ほう・・とながめてふと靴をよく観察したら小指のところに穴が空いていたのでした。しかも両足。オーセンティックは2足目なのですが、1足目も同じ穴の空き方をしたなあと謎の喜びを感じていました。1足目は1年で履きつぶしてしまったけど、2足目はなんだかんだ3年は持ちました。近いうちに3足目を買おうと思っています。20歳とかで出会った一生の相棒です。メリークリスマスイブ

12月23日

(あ)アンダーニンジャを見終わったのが27時、更新しながら寝ていました。

12月22日

(あ)つかれてるなあ、明日は坂口さんの展示に行きます

12月21日

(あ)郵便ポストに年賀状用かゴムがつけてあった。やさしい心遣いだね

12月20日

(あ)自由に発信ができる今だからこそメディアに対する個々のリテラシーが必要だけど、それにしてもあまり適切ではなさそうな発言や知見が身近にあって驚いた。断定的な物言いは、本来必要であるから生まれたであろうものを否定するような発言に感じてしまった。それを信じたくなくて、何度も読み返してほかの捉え方があるか考えてみてはいるけど悲しい現実を突きつけられた気がした。それでもなぜそうなのか汲み取りたいし、そもそも発言も思考や宗教の自由は保障されなければいけないから、それはそれでいいんだとは思う。だけど、だからこそわたしたちがわたしたちで取捨選択をしていく必要があるねってことを、当たり前のことだけど感じました。難しい世の中になってきていることも、なんか久しぶりに痛感した。だし、SNSの活用の仕方ってやっぱり難しい気がしています。いやあなたは難しく考えすぎなのよと笑われそうですけど、だれでもみることができる状況/状態であるという前提を忘れちゃいかんからこそ、見ず知らずのあなたを想像していたいよな・・と思いました。とかなんとか言っていると、発言の自由への侵害だとかそういう問題も出てくるとは思うんですけど、じゃあそもそも自由って何ですかって話ですよね。あなた/わたしにとっての自由と、社会・時代にとっての自由ってなんですかね、どう違ってどう同じですかね。なんだか哲学チックになってきましたけど、でも大切なことですよね。なんて書きましたが、最近時計の電池が切れて(早く修理しなさい)電車の中でふと何時だろう(遅刻しないかな、あせあせ)と時間をみるときにわざわざ携帯をポケットから取り出して見るという行為があんまり好きじゃなくて(酔うので)、どうしたもんかと考えて、早めに家を出ればいいのだということに20数年生きてようやく、ちゃんと気付きました。というわけで今日はいつもより3本早い電車に乗りました。続くかわかりませんが、自身の被ストレスをこうしてよりよい生活へ紐づけながらじょうずに昇華させていきたいです。まず時計の電池替えですけど。って書いて数日後に忘れるのがわたしです、困ったもんだ。

12月19日

12月18日

(あ)構想中と進行形のものがいくつかあって、ありがたいことにそれなりに忙しくなってきた。やっぱり忙しいほうが大変だけど楽しい。やる(やりたい)ことがあるってとてもありがたいことだなと思うのは何百回目だけどやっぱりそう思う。とはいえ結構時間がないので計画的に進めていこうと思う。来年の占いの結果は最悪だけど、自分が信じていることをちゃんと信じてあげる一年にしたいなと思う。こわいし自信もないけど、だからわしがわしを信じてあげようという感じですかね。早坂さんにもカジカジにも会いに行きたい冬を過ごしている。

12月18日

(あ)構想中と進行形のものがいくつかあって、ありがたいことにそれなりに忙しくなってきた。やっぱり忙しいほうが大変だけど楽しい。やる(やりたい)ことがあるってとてもありがたいことだなと思うのは何百回目だけどやっぱりそう思う。とはいえ結構時間がないので計画的に進めていこうと思う。来年の占いの結果は最悪だけど、自分が信じていることをちゃんと信じてあげる一年にしたいなと思う。こわいし自信もないけど、だからわしがわしを信じてあげようという感じですかね。早坂さんにもカジカジにも会いに行きたい冬を過ごしている。

12月17日

(あ)なぜかずっとエラーで更新できず、新しいページを作成しました。木曜から新潟に帰っていて、多方からたくさんの愛を受け取り、胸に抱きしめながら戻ってきました。それからさっきひさしぶりにポーランドにいる友人と電話をしてみたり、もうすぐクリスマスだなあともしみじみ感じています。母からクリスマスプレゼントにかわいらしいアドベントカレンダーをもらったので19日からあけていくるのが今一番の楽しみです。今自分がいる環境、状況に感謝するクリスマスを過ごそう、そして祈ろう。

12月16日

12月15日

12月14日

(あ)