12月13日
(あ)朝くせでアップルミュージックを開いてしまったんだけど、昨日の今日でラジオが聞きたくなって、そのまま一昨年の夏ごろに配信されていた星野源のラジオを聞いた。そこで彼が阿佐ヶ谷に住んでいたこと知って、つい昨日ひらいていた『ばらばら』の中の「阿佐谷北」は必然だったということも知る。中野に戻りたいなとここに引っ越してきてからずっと思っていたけどそうじゃなくて、ここにはたぶんきっとずっとは住まないんだから、だからこそもう少し住んでみようかなという気持ちにさせてくれるあたたかいおしゃべりだった。ヤモリもゴキブリも「味わう」ってみようかな。正しさは時代や社会が決めるけど、美しさは私が決めることができる、ここでいう美しさとは、未来への希望かな。がんばろう。
12月12日
(あ)音量1でラジオを流しながら帰宅。もし今のわたしであの時に戻ったら、どうなっていたかななんて在りもしないことを考えてしまった。これは妄想でも何でもなく、逃避。失わないと分かれないなんて愚かだし、いまがあることがどれだけ幸せなことなのかわかっているのに、わかろうとしないわたしもいて、情けなく思う。大切にするってとても単純なことなのに、年を重ねれば重ねるほど見失いがちだね。燈台下暗しは自分なのに。こういう生きづらさをずっと抱えていくんだろうな
(ま)現在、14時29分。雨宮まみ『40歳がくる!』を読み終わってカバーを外すとその装丁に思わず息をのんだ。お店に入ったときはあたたかかったからアイスにしたらもう身体が冷えていてコートをかぶりながらパソコンをひらくと急にSNSをぜんぶやめようか、という気持ちになる。時間がないないと言っていて見ている時間がとても長いし、なんだか見てしまうのも考えものだし。なにか、とても重要なところが鈍くなっているようなせいかつを送っている。昨日いった日光の山々の凛々しさはまだ忘れていない。
12月10日
(あ)今何をしているかなと思い浮かぶ人がいて幸せだなと思う昨日だった。性格の良しあしが好き嫌いに当てはまるわけでもないし、こういうところは好きじゃないけどそれ以外が好きっていうのもある。周りにいる人たちのこと大事に思うだけじゃなくて、大事にしないとな。
12月9日
12月8日
(あ)マドンナとこうさんとまいちゃんと4人で鍋を囲んだ。頭の片隅でいろんなことを考えながら、あったかい時間を過ごした。もうすぐ12月も半ばに差し掛かる。東京の冬はさむくなくてふしぎな気持ちの師走。
12月7日
12月6日
(あ)
(ま)現在、14時48分。寒い時期になるととにかくお湯をわかして飲んで、また冷えてわかしてあったかいものを飲んで、そうしているとお手洗いが近くなってというループになる。このごろ、何時に目的地に着くために何時に出る、そのために何時に準備をする、ということがこのごろ考えられなくて着実に時間は迫っているけれど動けなくてまたお湯をわかしている。数日前に貪るように読んだ小指『宇宙人の部屋』のことばかり考えているような気がする。書いてみるとほんとうに気がするだけでそんなには考えていないのかもしれない。傷つかないでいてほしいと思うこと自体がゆがみを含んでいたとしても今はまだそう思う。思ってしまう。
12月4日
(あ)更新しないで何しとんねんという感じではあったけど、ありがたいことに写真のことをずっと考えている時間で振り返ると、幸せな一週間を過ごしていた。山で撮影したフィルムが帰ってきてパソコンに取り込んでいたけど、久しぶりのカラーフィルム(35mm)にわくわくした自分がいた。思い返せばインスタントフィルムでカラー写真を撮ることはあったけど、ちゃんとフィルムを用いて撮るのは本当に久しぶりだった。ちゃんと撮れていてよかった。5本ほどとってお気に入りは5枚くらいだったけど、次回への改善点がみえたので次につなげられる時間になった。ありがたい機会をもらったな。4月まで毎月山に入れるのがとても楽しみである。今朝、出勤するときにみた木、まだ落葉前のもくもくした木でかわいらしかったので明日朝散歩しながら撮影しようと思う。わたしが撮ろうとしているときは、「いのち」を感じる瞬間なのかもしれない。
12月3日
(ま)現在、23時35分。帰宅するやいなや強烈な眠気におそわれてねむって起きると全身がもうバキバキになっていて心当たりはあるのだけれどまぁ、こういう時にこそ身体を動かすのさ、と思ってシャワーをして夕食をつくってよし、これからあれとあれに取り掛かるぞ、とおもっているともう日付が変わってしまう。6時に起きて作業するためもうねむる。あすちゃんから送られてきた二十歳のクリスマスの写真をなつかしく何度か見る。
12月2日
12月1日
11月30日
(ま)現在、1時40分。今日はとても寒い、と見たから着込んで出たらとてもあたたかくてバイトに向かいながらインナーを1枚脱いで働いていたら店内のBGMが変わった。前回とけっこう違くて驚く。もうすぐ雨宮まみさんと柴崎友香さんと木下古栗さんの本が出る。どれもとても待っていたものでそれらとともに新年を迎えられると思うと心強い。
11月29日
(ま)現在、24時18分。べろべろに酔っ払ってふらつく足元でゆるやかな坂を登っていく後ろ姿にマックスが “we do not need any words, just looking eyes.” と言ったのを聞いた。音楽をきくのでもみんなに会うのでも見届けるのでもなかった。この言葉に触れるためにわたしは昨夜あそこにいて今ここにそのことを書いている。
ちゃんとお化粧を落とせた日よりも落とせずにそのままの格好で電気もつけっぱなしでねむってしまった日のほうが多かった11月が明日で終わるらしい。3人の髪の毛を切って登山と盛岡にはいけなくて、2週間止まっていたカードは今日やっと復活して、新潟では寒くてもう着れないようなコートを毎日着ている。ひさしぶりに牛乳とバナナを買ったらもうこれだけあったらどうにでもなるじゃない、と思う。
11月28日
11月27日
11月25日
11月24日
(あ)おじいちゃんの面会にいってきた、まる2日ほど興奮して眠れていないらしく、週明けから入院する予定らしい。抑制されたり、鎮静効果のある薬を飲まされるんだろうか。なにが本人にとっていちばんよい選択なんだろうかと考えながら、足をさすったり手を触ったりしていたけど、触りすぎて(わたしの手が熱いようで)「熱い、もういい」と言われた。じゃーまたねと別れた。
11月23日
(あ)後ほど写真あげます
11月22日
11月21日
(あ)昨夜長い散歩をして帰宅後はそのまま寝てました。朝はぎりぎりゴミを出せたので良かったけど、明日からの荷造りが一切できていない中で今日は新橋での手伝いなのでいろいろアカン感じになっている。最悪カメラとフィルムと山装備だけ持って、深夜バスの出発には何とか間に合わせたいところ・・
11月20日
(あ)昨日〆切のものを何とか朝5時30分に提出してそのまま眠った。8時、ドタバタとシャワーをあびて、外に出てチャリを漕ぎながら、おもいっきり吸い込んだ空気が冬の空気で、心底嬉しくなった。今日はヨドバシに寄ってから帰る
退勤をして外に出た時の空気が冬だったのが本当にうれしくてバイト先から一時間少々くらい歩いてヨドバシまで向かってみた。途中遭遇したきしめん屋さんできしめんを食べた。沁みました。
11月19日
(あ)やっとここに帰ってきたと思えることがすごくすごく嬉しい。というのも、アルバイトの通勤路を数日間撮っていて、移り変わる朝日に撮りがいも感じていたけど、どうしても毎日撮ることが出来ない自分の状況があって、でもできるだけ毎日撮りたくて、何が一番良いのか悩んで考えて、でもなかなかこれだと思うものに出会えていなかった。そんな中で昨日おばさんが新潟からやってきてわたしの狭い家に泊まった。寒くてシングルのベッドに直立で二人で眠ることになった。当然ながら(繊細a.k.a神経質、神経質a.k.a繊細なので)眠れるわけがなく、いつもよりつけている電灯も暗めなので本を読もうにも読めず、ただただ天井を見つめる長い夜を過ごしていた中でふと、玄関だ、とひらめいた。そうと決めてシャッターを押したとき、写真をやっているなと思えて、安心することができた。ダメもとでGTX980を起動させてみたら、一回ではいかなかったけれど数回の起動で作動してくれた。ありがとうと撫でてスキャンをした。あくまでこれまでの33枚のおかげで撮れた34枚目なので#34としてスタートします。
昨日と今日で、竹ノ内さん・NewOldSchoolの展示に行ってきた。普段なかなか聞けない暗室や写真の話は貴重だし奮い立たせられるような気持ちにもなる。人の話を聞くことは、自分を知ることである。自分がみえてくる。マドンナと中森さんの勇姿であり英姿も染み入った。竹ノ内さんの強い一言にも心を打たれた。わたしもやらねば。考えることも手を動かすことも続けよう。
おばさんが作ってくれた胃腸を労わる雑炊、とってもおいしい。
11月18日
11月17日
(あ)ひろこちゃんに新しい職場の様子を聞いたら乾燥がひどいといっていて、わたしのバイト先の乾燥もひどいということを自覚した。気休めだけど、水筒のふたを開けて顔の近くに置いてみている。もちろん倒さないように細心の注意を払っているけど、そのうち倒しそう、そのときはそのとき。
11月16日
(あ)朝この道を通るとサカナクションの「朝の歌」が流れてくる。好きな時間帯は決まって夕方と答えていた。太陽が沈んでいく空の色が好きなのと、夜が始まると街が明るくなるのを見るのが楽しいから。でも朝を撮るようになって、朝にしかない空気があることを身をもって知ってから朝も良いなと思うようになった。特に東京の朝は、まだだれかになにかに触れられていない空気が漂っている気がして、あの街もこの街もずっと先まで繋がっていて、ひとつだなと思える。いいね。
11月13日
(あ)ずっとお家にいた。ちゃんと風呂に入った
(ま)現在、16時9分。やっぱり身の回りが整っていないといざという時にちからがでないという実感があって水回りを中心に掃除をする。広くはない一室だけれどする前とした後では入ってくる空気がぜんぜん違うように思える。まず自分がちゃんと健康でひとりで立てないと。基本はいつだってそこからである。こういう時間をきちんと取っていこうと思う。忘れものを引き取りに行って贈り物のシルバニアファミリーを選んで、コーヒーを待っていると前の二人組が「みっちーはみんなすきだよね」と言った。もう日が暮れはじめている。
11月12日
(ま)現在、3時19分。帰ってきてから案の定ねむってしまい先ほどもぞもぞと起きてシャワーを浴びごみを捨てに行った。夜中の冷たさが気持ち良くてちいさなボリュームで音楽をかけている。アルバイトの休憩中に少しだけ通話した母は「生活を大切にしていくことがもっとも大切だ、それでもやりたいことがなくて辛い」と言う。今年も文フリにはいけなかったけれどいい日曜日になった。
11月11日
(あ)竹ノ内さんの展示に行って、夏ぶりに数分だけマドンナに会えた。竹ノ内さんへの愛をちょっとだけ、でもストレートに伝えた。マドンナと一緒に麻布の坂を下りて、話の一番いいところで別れた。大江戸線と三田線。この名残惜しさも乙だなあ・・と思いながら大通りに出て、ふと右を見たらそこには東京タワーがたっていた。東京タワーだけはいつでも寄り添ってくれる気がする。みんなのいろんな思いを背負っている気がする。そういう電波塔。そこにいてくれてありがとう。東京タワーのこと、いつかちゃんと撮りたいな。今日の一枚は、新橋の手伝いの時にいつもみているやさしい灯りです。竹ノ内さんの写真を見たら、撮りたくなっちゃって。写真っていいな
11月9日
(あ)今後について年内までにある程度、要素出しをしなきゃと思って積読に手を付け始めた。一見、関係のないものこそ関係していると信じて。
11月8日
(あ)いまタイにいっている友人の誕生日をずっと7日だと思っていたら今日だった。もう6年も7日でお祝いしていた。お祝いって言ってもおめでとうと連絡をするだけだけど。大切な人は11月生まれが多い。今日は在宅勤務なので朝9時に起きて、ぼーっとしてから洗濯を回して、ひと仕事を終え、のんびりしながらこれを書いている。10時28分。昨日の朝の荒天が想像できないくらいに真っ青な空とまぶしい日差しが入ってきている。いま洗濯が終わったようなので干して遅めの朝ご飯を何を食べようか考えようと思う。
11月6日
(あ)久しぶりにベッドで過ごす生理だった。先週と先々週の出来事だけど、ありがたいお仕事をもらった。頑張りたい。お昼ご飯にパンケーキを買いに行こうと思って財布を取り出そうとしたら財布がなく・・手あたり次第に30分探して見つからず、自分の過去の行動を5分ほど深くじっくり振り返って探した場所(キッチンのゴミ箱)にあった。アハ体験。
(ま)現在、25時54分。ねむってもねむっても眠たくて12時間くらいねむって、時間ぎりぎりに3つの停留所分だけバスに乗って会場に向かう。大久保公園は今月いっぱいくらいラーメンのイベントをしているから使えなくて、それにしても通るたびに歌舞伎町付近の治安というか情勢はすごくなり続けている。夏に参加していた日記のワークショップで知り合ったひとがライブに来てくださっていたことをそのひとの日記を読んで知る。
11月5日
(ま)現在、25時37分。はやく冷え込んでほしいと思いながらも夜でもコートなしで身軽に歩けることはうれしくて、それでも暑くなったり少し寒かったりで不調がつづいている。このところ帰宅するとお風呂にも入れず眠ってしまって明け方に起きるというのが毎日でお肌はぼろぼろになりつつあり滅多にない腹痛におそわれることが増えた。どこかから元気である。そりゃそんな時期もあるだろう、思い返せば夏場から秋のはじまりにかけてが躁すぎたのだと思う。
やらないよりははるかにマシだろうから今はパックをして、明日しないといけないことを書き出して、夢でいいから会いたいひとがふと思い浮かぶ。なんだか会えるような気がしてくる。
11月4日
11月3日
11月1日
(あ)愛しのおじいちゃまの誕生日。認識しているかわからないけれど、娘(わたしの母とおば)と妻(わたしの祖母)に祝ってもらって、ピースをしている集合写真をみて泣いた。おじいちゃんに会いたい。昨日の注射と痛み止めのおかげで痛みはだいぶ引いた。おばさんに話したらコリの次はめまいが来ると脅された。湯船につからなきゃ。かいちくんにお返ししたからスキャナーがなく、久しぶりにGTX980の電源をつけた。やっぱり使えなかったのでエプソンに問い合わせた。修理か、新しいの買うか。そんな感じなのに35mmフィルムを20本かった。合計2万9千。魔法のカードありがとう。これで山に入れる。wideも買おうと思ったら入荷未定になって購入できなかった。ちいさなインスタントフィルムが3枚だけのこっている。それであと3日はsmall piecesの写真を撮れるので大事にここの朝の光を撮ろうと思う。最近撮っているこの朝の光はバイトの出勤路。これからはここを継続的に撮ることにしようと決めてカメラを持って出勤して朝撮って、出てきたフィルムを見たとき、ちゃんと初心に帰れました。携帯の画面見ながら撮るのと、こうやって撮るんじゃ全然違いますね。わたしの状態が写っていてびっくりしました。毎日出勤するわけではないから毎日は撮れないけど、出勤と共にここに入る光を写しながら自分を写していけたらとおもっています。改めてよろしくお願いいたします。
10月31日
(あ)何なら痛すぎて眠れなかったし、昨夜よりも痛みが悪化し手もしびれだしてさすがにやばいかもと思い整形外科を受診した。原因はコリで注射を5?6回刺された。痛すぎて兄の結婚式ぶりに結婚式と同じくらい泣いた
(ま)現在、21時37分。いま、たった今書こうと思ったことをそのまま全く忘れてしまってはて、と思ったけれど思い出せた。ほんとうに良くないのだけれど数ヶ月ぶりに今回は月末のうちに家賃をはらうことができて一ヶ月はくるしい気持ちにならずに過ごせる。岸さんの『にがにが日記』をひらくと見覚えのある文章からはじまっていてそりゃそうだ、この日記が連載されているときしょっちゅう読んでいた。たいてい調子の悪いとき、部屋の電気もおとしてパソコンの光だけで読んでいた。いまサイトを開いたら第一回だけが公開されておりこれが一冊の本が出版されるということなのだろう。
出るときに手の甲に振りかけた香水がまだ匂っている。空港の免税で買ってどうしてか中身が違っていたからほしかったものじゃなくて、だからこれまで使っていなかったのだけれどやっとこの頃わたくしはこれをようやくすきになりはじめた。
10月30日
(あ)今日も家を出る30分前に起床して、シャワーを浴びた朝だった。違うのは首を寝違えていたこと。だんだん痛くなってきている。
(ま)話していたら途端にアイススケートがしたくなって、そうしたら小さいときに少しだけ習っていたフィギュアの舞台に出なかったことが思い出されてあの時の母の怒りようには凄みがあった。もう今はあんなふうには怒らない。もっと静かに怒られるようになってそれはそれで凄みがある。昨日いったお店には愛咲子ちゃんがよく使っていたお香がたかれていてヤパハウスでのひびを懐かしく思った。懐かしく思うほどまだ時間は経っていない気がするし、そう思うくらいにはもう時間が経った気もする。今日はふたりからもらったスニーカーを履いて意気揚々とバイトに向かったけれどお金を丸々ぶちまけてしまったりミスしたりと散々で、それでも読み始めた幸田文の『流れる』がなんとも魅力的でこんな失敗くらい何さ、という気で今はいる。
10月29日
(あ)吉井さんのバンドのレコ発にいってきた。渋谷は渋谷でも知らない渋谷があった。ひさしぶりにあったまいちゃんも吉井さんもいわもっちゃんも変わってていて変わっていなくて今日を生きている。わたしも私のやるべきことをやろう
10月28日
(あ)1時:深夜の戯言 「素晴らしい過去になろう」のコピーがぐっと来たので調べたら2年前から使われているプロジェクトのコピーだった。なんとなくいいなと思っていた神木君と芦田愛菜ちゃんのCMから使われていた。そのときはそんなに広告にすごく興味があるわけではなかったからいいCMだなくらいにしか思っていなかったけど、時を経て再会して、恋に落ちるような気分だった。同じように思っている人はいるのだろうかとツイッター現エックスで調べてみたら、前から使われているコピーだけど、最近起用されているタレントの過去の不祥事と旧ジャニーズ問題から、否定的な意見が多かった。そういうふうな捉え方になるんだと逆に新しい発見だった。タレントがどうっていうよりも(それも良くはないと思うけど)、ああそうだよなと腑に落ちるというか、わたしにはちゃんと伝わるコピーで、ぐっときたなあ。
10月27日
(あ)昨日今日と在宅勤務でした。ほぼ家から出ずに終わったし、なんなら今際の国のアリスというサンデー原作のドラマを視聴してた。よくわからんエッセンスだらけで、はあ(これは溜め息にちかいはあ)と思いながら派手なパフォーマンスに伝えたいことが結構隠れてるかんじでした。だから、わかりやすいとも言える。たおちゃんの横顔が広瀬すずちゃんに見えた。次が決まっていないなんてことは、よく考えたら2年近くなかったのだけど、発表する機会がないだけでやることは山ほどある。なんならこの一年(もう一年切ってもうたけど)が勝負。家から出ないと何もできないことはわかっていたけど、ちゃんとわかった。家にいて、そういうのが湧いてくることもあるけど私の場合は大抵は風を浴びてる時だから、やっぱり外に出なきゃや~とは思った。まあそんなこんなで、自分のことで手一杯だった日々から、いまはそれもありつつも、それ以外のことも目を向けられようになった。なってから、本当にタイミングよくだいすきな竹之内さんの展示会期とイベントが重なった。そのあとは、マドンナが関わっていらっしゃる三好さんの展示もある。そのほかにもいくつか気になっている展示や映画もあるし、きになる人たちと関わる機会も。自分と周りとのタイミングッドグルーブに心から感謝しつつ、ひとつひとつ楽しみたいと思う。お腹の調子が悪いので労わりながら。
地下鉄でみたサントリーの広告のコピーがかなりいい。「素晴らしい過去になろう」って
10月26日
10月24日
(あ)朝起きたら家を出る30分前で、昨日お風呂に入らなかったからシャワーをしないとで。頭はボーっとしているのに身体をものすごいスピードで動かしている感覚、まあいつも通りの朝だった。週5バイトのうち、週3はこんな感じ。8月から新しいバイトがはじまってちょうど2か月くらいが経過してなんとか生活を送れている。このままできるだけ長く続けていきたい。はやくフィルムを買いたい。
めんどくさいことからすべては始まる、めんどくさいを蔑ろにしてはいけない。
10月23日
(あ)さて
10月22日
10月20日
(あ)昨昼からおなかの調子が悪い。ここ数日間ちんすこうばかり食べていたからでしょうか。おなかにカイロを貼って過ごしています。10月もあっという間に下旬。この調子で年末まですぐなんだろうなと思う。11月に山に入るので、それまでにコンパクトカメラをどうにかしたいのと、カラー暗室に入ってみようと思っている。そんなすぐにできるものではないけど、11月・12月はまたいつもとは違う製作期間になりそうでワクワクしている。今日も生きよう。
10月18日
(あ)現在夕方。2日連続の在宅勤務で、昨日はずっとだらだらしていたので今日は洗濯をした。梨をたべて秋を感じた。シャーペンをいただいたので久しぶりにシャーペンで文字を書いたりしている。すらすらとした書き心地だった。これから新橋の手伝い。今日の新橋はどんなだろう。
10がつ17にち
10月16日
(あ)f3でLIGHTさんを知ってから(紹介してもらってから)、LIGHTさんの存在やその活動、意味合いみたいなものが自分の中で少しずつ大きくなっていった。おこがましいながらも一緒に何かしたいという目標をかなえることができた。続けていてよかった、これでよかったのだと思った。いくら好きなことをしているとしてもいろいろある。やめようと思ったことはないけど、いろいろある。いろいろあるけどとりあえずやり続けていくことが一番大事なのだと今回も思った。また数年後に一緒にやりたいなと思えたことがとてもうれしかった。がんばりたいと思う。
10月14日・8日目
(あ)11時51分、朝乗る予定だったバスの出発時間数分前に起き、キャンセルの電話から今日が始まった。ここまでは通常運転。それから開き直ってまた少し寝てしまった。ここも通常運転。2年前、東京へ通っていた時にたまったポイントを使うときが来たかとポイントを全額分使用して、長岡行きの新幹線の片道チケットを手に入れた。時間があったら酒井さんのところに寄りたかったけれど難しそうなのでまた日を改めてゆっくりお邪魔しようと思う。現在乗車している新幹線はほぼ満席。これからそら屋さんにいき預かってもらっている荷物を回収し、在廊しにダブサンに向かう。
10月11日
(あ)昨日帰りにたまたま寄った花屋さんでホトトギスに再会して、迷いなく一本を連れ帰り、部屋に生けた。秋が来ているね。
10月10日
(あ)昨晩最終の新幹線で東京に戻り、自宅についたのは24時19だった。東京は雨が降っていた。シャワーを浴びて肌寒い部屋で眠った。現在は昼の12時でそれなりに晴れている。2年前の新潟での「東京」を思い出しながら、当時は今日をこんなふうに送っていることを想像すらできていなかったしそんな余裕ももちろんなかった。「東京」の展示があったから今日があって、ここ最近ずっと考えていることを少しずつ違う出力で仙台、逗子、長岡、今回のLIGHTで展示させてもらえている。本当にありがたいと思っているし、明日のことも想像すらできない日々に不安を抱えながらもやっぱり今がいちばん苦しくて楽しいと思う。上京して同志として支えあってきた(と思っている)かいちくんはいよいよイギリスへ発つ。私も自分の選択に責任をもってただ前に進むしかない。まだまだやりたいとおもったし、まだまだやりたいことを全然やれていない自分がとてもとても悔しくて、少し泣いた。今日の自分に負けたくないし、数秒前の私を忘れず、そのわたしをずっと超え続けたいと思う。そういう強さを植え付けさせてくれたまわりの人たちに感謝して、来週も新潟に帰るために今日をちゃんと生きる。むとう家からいただいたベーグルが超おいしい、まいちゃんぬ羽ばたいてきて!
10月9日・3日目
(あ)まいちゃんと昼から一緒に立って、こうだったよな、こうだよなと思い出していた。展示関係なく、多くの方が来店された。無事に今日を迎えられていることに感謝しようとおもいながら、かけてくれている音楽に身を委ねた。LIGHTのバランスやチームワークの良さ、軽さ、重さ。その場にいることでわかること、わからないこと、わかれないこと、わからないままにしておくこと、ききたいこと、きけないこと、きくこと、きかないこと。それぞれに見方があって、それぞれの感じ方がある。今日もここに立てて、本当にうれしく思う。ありがたく思う。大事にしたいと思う。今週も生きて、来週を迎えたいと思う。また来週と手を振ってお店を出た。来てくださった皆さん、気にかけてくれている皆さん、いつもありがとうございます。
10月7日・初日
(あ)ちゃんと在廊するのが久しぶりで立ち位置迷子になりながら一日を終えた。夜は小中から仲の良い大切な友人としゃぶしゃぶをした。お店で同じ小学校の一学年上の先輩にお会いした。嬉しかった。
10月6日
(あ)Gをよそにバスに乗り込み新潟へ向かった。想像以上に寒い朝にびびっていると前から電話しながら見覚えのある人がいらっしゃった、そう舞ちゃん。おじいちゃんの面会に行き、まんまるとしたおじいちゃんのお顔をさわってお話をした。そのあと搬入へ。れいこさんと大地さん、水澤さんと舞ちゃんが迎えてくれた。ぞくぞくと大好きな顔ぶれが来店されて、安心していた。2かげつのほやほやのそうちゃんにもお会いできた。そのあとは深夜までやっている中華屋さんへ行き、爆食べ爆飲み。水澤さん改めピータンさんとなった。
10月5日
(あ)昨夜意を決して帰宅した。びっくり一匹もいなかった。つまりこないだのやつは外から侵入したということ言い換えればどこかに侵入経路があるということ。早急に塞がなければ。連休明けはまず最初にそれをやろう。なんだかひどく疲れた、G日記になっている
10月4日
(あ)昨夜山本耕史がCMしているGムエンダ―を散布しまくった家に今日帰る。ツイッターのつぶやきをみるに、どうやら散布後やつらが家にいればひょろひょろとリビングに出てくるらしい。いくら息絶えているもしくは弱っているとはいえ奴の姿を見ると想像しただけで帰る気が失せてしまう。だから生ものは残さない・ゴミは外置きを徹底していたのだけど、まさかでてくるとは。古い家は家賃が安いけど、Gが出やすいのがその代償てきなやつなんでしょうかね。東京のやつはかなりでかい、思えば新潟ではGのこと正直みたことはほぼなかったな。ああ帰りたくないな。っておばあちゃん話したら「よわっちーな」と喝を入れられた
10月3日
(あ)昨晩出た特大サイズのあいつのせいで2時間も眠れぬような長い夜を過ごした。殺スプレーの用意も何もないのでなにもできなくて、ただ震える夜だった。そんな様子でオールナイトニッポンを聞いていた。Adoといういい感じの声の若い方がパーソナリティだった。もちろん内容は耳には入ってきてない。別にファンでも思入れがあるわけでもないけれど、新会社名の候補に「A・RA・SHI」が挙がっているそうな。なんか、わかるとなった。嵐はいいグループだよなあ。
10月2日
10月1日
(あ)たまたまツイッターの通知で吉井さんのライブを知る。ひとがしていることに対する補足アイディアというのかよりよくなるようなエッセンスを見つけるのは得意なのに自身のことというとなかなか難しい。プレジデントオンラインが結構面白くて読んでいた。尾崎豊の。
9月30日
(あ)昨日雲にかぶってみる事が出来なかった満月(もう下り始めているけど)を駅に向かう途中にみた。気付けば雲も秋の雲になっている。チームで仕事(なにか)をするってやっぱりいいなと思いました。そりゃ話しかけるタイミングやいろんな事情でのコンディションの良し悪しを慮りながらってのは作業(仕事)効率が悪いなと思ってしまうときもある(あった)けれど、こういうのって効率云々じゃないんだなということをなんか身をもって感じた。そういうことじゃない世界もあるよなと。むしろそういうことじゃない世界であってほしいなと。だけど多分こういう思考って古き日本的考えというかそれに近いというか通ずるものがあるんだろうなとも思う。ここでいう古きとはたぶん戦後すぐくらいで、だからそんな古いわけじゃないけど、復興を急ぐために自然とそうなっていったんだと思ったりしてみている。人混みでぶつかりながらも堂々と歩く人や舌打ちする行為もこれに通じてるのかな。まあこれはそっちがわの際の例えだけど。何が言いたいかって、わたしはないものねだりばっかりだなあと。たいせつなひとを失いたくないなと思うならちゃんともっと周りを見なきゃだなということ。。今日も今日を生きた。
9月29日
(あ)バイト先の先輩が「お礼を言ってもらえることをやりがいにしないとやっていけない」と話していた。やりがいという概念は私の中にはあまりないのかもと思ったり思わなかったりしている。それは間違いなく、やりたいことをできているからで好きなことしかしていないから。なんて幸せなんでしょうね。今機材代を稼ぐためにしているバイトも朝の満員電車も金曜の夜の終電もネズミの死骸がよこたわる道を歩くこともゴキブリも思うように進まない日々も誰かをうらやんでしまう時間も自己嫌悪もさみしくなる日々もかなしくなる日々も、すべてがゆくゆくは表現活動につながると思うとそれはやっぱり大切なんでしょうね。わたしがすこしずつもどってきている。嬉嬉
9月27日
(あ)更新していない2か月の間に、自身の3年ぶりの個展「光り/ちいさな祈り」が始まり、無事に終え、すぐに仙台での『東京』の展示がはじまった。その数日後に長岡でのグループ展示があり、長岡へ。展示中は兄の結婚式で富山へいった。先週長岡でのグループ展を無事に終え、一息ついて今日に至る。展示会期中に3月からしていた仕事をバックレるように辞めて(辞められて本当に良かった)、新しいアルバイトを始めた。バイトがない日は次の制作のための時間となり展示の在廊もほぼできずに終わった。県外の移動でお金が消えていった。気絶するように眠り、深夜に目が覚め、また眠る。翌月の自分に借金をし(クレジットカードを切り)ながら生活をしていた。ありがたい悲鳴とはわかっていても自分自身が少しずつ壊れていくのを感じても、何もできずに流れに身を任せてしまった。おかげでここに来ることができず、ここでこれを見てくれている人たちにうまく顔向けできそうになく、どんなことを書けばいいかもわからずに今日まで来てしまった。何よりまいちゃん、本当にごめんなさい。自分を偽りなく生きる(表現する)ってやっぱりすごく難しい。忙しいを言い訳にするつもりはなく、ただ余裕がなく、流れていく時間に身を任せてしまった。反乱軍失格。これじゃシスに殺される。というよりダークサイドに堕ちていた。堕ちているとわかっていながら堕ち続けた。それが悪いことではないとみんなは言ってくれるのかもしれないけど、よくない。だってわたしはジェダイだから。この2か月の間でいろんな変化があり、消化できたものできないもの、考えたいもの、みつめたいもの、感じたいもの、行きたいところ、みたいもの、あいたいひと、かなしいこと、わかったこと、わからなかったこと、いろんなことをがあった。少しずつ紐解きながらまたここでここを作っていけたらとおもっています。はやくクレジットカード生活を脱したい、ひどい抜け毛をどうにかしたい、白髪をどうにかしたい。これ以上自分に負けたくない!
9月26日
(あ)道端で轢かれたネズミの死骸は誰が片付けたんだろう。毎日しらない誰かのいらないが道に横たわっている。それを何も思わない人たちはどれくらいいて、何かを思う人たちはどのくらいいるのだろう。わたしはネズミを見つけて、みつめて。去った。
9月24日
9月23日
9月22日
9月21日
9月20日
9月19日
9月18日
9月17日
9月16日
9月15日
9月14日
9月13日
(ま)現在、1時50分。しばらくないなぁと思っていた騒音がこのところ振り返してひどくなっていたけれど今日はぱったりと静かである。9月に入ってからさっぱり読書ができていなかった。何を開いてもしっくりこずに読んでいない本を本棚から取り出してはこれでもない、これでもない、というひびが続いている。それでもめげずにあれこれ開いている。明日はお客さんが700人はいる会場でネタをする。涼しくなったと思ったらじんわり汗ばむような毎日だがちゃんとゆっくり涼しくなっていることがうれしい。東京の秋はながいから。
9月12日
9月11日
9月10日
9月9日
9月8日
9月7日
9月6日
9月5日
9月4日
9月3日
(ま)トラガス、というところにピアスをあけて7ヶ月くらい経ったがいつファーストピアスからつけたいピアスに変えていいだろうかと頃合いを見計らっている。そろそろいいような気もするしまだな気もする。今かけている「軍艦ラジオ」の ♯35 が芸術論、才能論をかましていてすごく興味深く、やっぱりわたしはお笑い以外の領域を知っているひとがやるお笑いがすきなのだと思う。2時をすぎたらものすごい呻き声が外から聞こえてきている。
9月2日
9月1日
(ま)太宰の『斜陽』を10 年ぶりくらいに読み返したらぶっ飛ばされる。ひさしぶりに続きが読みたくて目を覚ましてすぐに本をひらいた。昨日は8年ぶりくらいに会う知り合いとばったり会ってまるで一週間ぶりに会うように会話をして、それからレインボーの1回戦が面白すぎて3回見る。
新しい月のはじまりにふさわしくいい天気である。愛咲子ちゃん、お誕生日おめでとう。
8月31日
8月30日
8月29日
(ま)書いたものの反映がされていませんでした。
本日をもちまして仙台は曲線さんでの写真詩集『東京』出版記念展示 in 仙台「東京/中(うち)と外」の会期が終了いたしました。気にかけてくださったみなさま、足を運んでくださったみなさま、曲線のしょうこさん、盛岡から駆けつけてくださった早坂さん、いつも見てくださるあなたに、心よりお礼申し上げます。
『東京』が出版となりちょうど一年が経ちとても12ヶ月の速度じゃなかったなぁと撤収をしながら思い、それがどれだけありがたいことなのだろうと噛み締めながらひとのまばらな火曜日の新幹線に乗って東京へ帰ってきました。今抱いているもの、はけっこうすぐに移り変わっていってしまうからひとつ一つを形にしてゆきたいと改めて思います。最終日は思ったよりもたくさんの方とお話ができて嬉しくありがたい気持ちでいっぱいでした。過ぎてゆく八月を胸に。それでは、また。
8月28日
(ま)10 時を過ぎていることに気づいたなっちゃんが飛び起きてその気配でわたしも目が覚めて他人のおうちだというのにぐっすり眠っていた。帰ってきてお洗濯物をまわしながら今夜のバスのチケットを取る。昨夜通り過ぎた高円寺の熱気がもうなつかしく、なっちゃんのギターの音色は鮮明なままである。
8月27日
(ま)下北への二往復で新宿駅のJR線と小田急線の乗り換えをマスターする。久しぶりに会った同期とあんまり話せなかったし写真も一枚も撮れなかったのだがみんな元気そうだったし、思えば養成所が終わってからそれほど時間も経っておらず久しぶり!と感激するほどの時は流れていない。それでも嬉しかった。見学でいったラバーガールさんの単独でダントツ好みなネタが1本ありそのことが頭から離れない。「コント」ということばはこんなにも素敵な響きをしているのか。
8月26日
8月25日
8月24日
8月23日
(ま)現在、21時1分。見返したことがないけれどとても重要なある動画を初めて見返している。それから限界なときに読むブログもひらいて更新は去年の4月で止まっているもののそこに掲載された文章を読むと滾る。
8月22日
(ま)今朝目を覚ました瞬間から信じがたいほどずっと眠たくて働いている間も帰ってきた後もとにかくどうにか眠ってしまわないように過ごしていたわけだけれど、そうだ。ものすごく眠たいときは運命が変わる前触れだと母がよく言っていて、わたしはそれをずっと間に受けている。しばらく前から仮で入っていたライブの連絡が正式に届き、何度もその連絡を読んだ。
8月21日
8月20日
(ま)現在、23時13分。イーユンリーの『理由のない場所』の一つ目のお話を読んで、これは生涯の一冊になるだろうと思う。母はわたしがもらって一度しか袖を通していないワンピースを着て帰った。もちろんよく似合っていた。
8月19日
8月18日
(ま) 現在、24時19分。やってきた母がものすごくかわいらしいニットを羽織っていたので聞いてみると、いつも自分でつくった手編みのニットを着ていた親戚の編んだものだという。彼女は鉢の胡蝶蘭を次の年もその次の年も咲かせるようなひとだった。戒名にも一番似合うお花の名前がはいっていてわたしはその漢字をみた時に涙が出たことを今でもよく思い出す。
8月17日
8月16日
(ま)現在、23時36分。よくいく公園にはあるギタリストが時折いて、その人はそこではいつもバグパイプを吹いている。今日は運が良くその音色を聞くことができたしいつもよりもそんなに暑くなかった。わたしの左肩にモンシロチョウがとまる時間があった。
8月15日
(ま)日付の更新をしながらこんなにも日数が積み上がっていることに驚愕して、ひとまず曲線さんで買ったお豆でコーヒーを煎れた。おそらくこれまでで最もながきにわたり更新ができずにいて一体何から書き残していったらいいのやらという感じなのだが、ともかく目の前にあるもののことから書いてみる。
まずは、せんとくんである。4月に奈良に行った際に、いっしょに行ったというのにみおさんという人はせんとくんがすきな愛咲子ちゃんにせんとくんのキーホルダーを買ってくださっていた。そして共に行ったマドンナとわたくしにもせんとくんをくださって、それを携帯に付けている。角が取れてしまいそうでこわいなと思いながらこれまでより少し丁寧に携帯を扱うようになった。高額な携帯料金に困ってついにキャリアを変更することに決めたのが先月でまだ手続きはしていない。
この調子で一つ一つをやっていくととんでもない長さになってしまいそうので、この夏、と題してエッセイのほうに書こうと思う。愛咲子ちゃんの個展「光り/ちいさな祈り」を見に逗子へ行ったことも、かつて一緒に暮らしていたひろちゃんが東京に来てくれたことも、仙台の夜がずいぶん涼しかったことも、あたらしいサンダルを母からもらったことも。最悪としか呼べない夜があったことも、はじめての場所で起きたことも、あの人と交わした内緒の会話も。愛咲子ちゃんの記した「かかってこいや」に元気をもらったことも。
だいじょうぶ、忘れていないよ。忘れられるわけないじゃない。
待ち遠しい秋に向けてぜんぶをもって走ります。みなさんは走ったり休んだり、歩いたりされているだろうか。どうか健やかに、それではすぐにお会いしましょうね。
8月14日
8月13日
8月12日
8月11日
8月10日
8月9日
8月8日
8月7日
8月6日
8月5日
8月4日
8月3日
8月2日
8月1日
7月31日
7月30日
7月29日
7月28日
7月26日
7月25日
7月24日
(あ)無事に搬入を終えた。今日までしんどかった。大なり小なり、協力してくださる方々のおかげで今日までこれている。ありがたいに尽きる。展示は明後日の26日から。昨日舞ちゃんが今が底辺を更新しているといっていたけど、わたしも一難去ってまた一難というかんじで、上がったり下がったりで安定はしていない。安定したかもしれないと思ってしばらく過ごしてみて、全然できていなかったことに気付く。安定どころの話じゃない、飛び切りの大しけときた。というかんじでもう笑うしかない。ジョーカーと思われようがわたしはこの大しけを笑いながら乗り切る。かかってこいや
7月23日
(ま)月に一度東京にやってくる母がわたしには何も伝えず父も連れてきたのが一昨日でとにかく、ながい夜だった。いつか二人にもう会えなくなったときにどうしたって思い出すのだろう。思い出さずにいられないだろう。そうしてわたしの中に残り続ける記憶となってそれは何度も思い出されて、気づけば形もすっかり変わったりするのだろう。そのことをそのままわたしは抱え続けるのである。だから何もなくなったりしないのである。
いまが底辺、というのをひび更新し続けていてまったく底がない。それでもいききったらどうにかなる。明日から愛咲子ちゃんは個展が始まりわたしは仙台へゆく。この夏もここにしかない。
7月22日
7月21日
7月20日
(あ)昨日の続きで、あくまでそばにいてくれる人がいるからわたしがわたしでいられるという大前提をいちばん大事にしようと思う。ぎりぎりあうとだけど、なんとか入稿した。あとは明日、少し暗室作業をして、入稿データと頼んでいたものを取りに行く。23時半にはかえって、25時には床にはいるために、今日のタスクは帰宅しだい入浴をして眠ること。
7月19日
(あ)わたしには、例えば夕陽を見てなにかに耽る時間が圧倒的に足りていなかった。決して綺麗とは言えない夕陽でも、気持ちいいとは言えない風でも、それでも生きていく上で必要不可欠なものやわたしと共存しているものに、生に触れることを疎かにしたら、少しずつ少しずつそりゃあ腐っていくよね。私が私じゃなくなっていくなら、私が私でいられるために私が私を作っていかなきゃだし、私が私の舵を取らないと。誰が私を私じゃなくさせるかってそれは私以外の何ものでもない。私が私でいられるように、私が私を守らなきゃ。人も社会も私ほど私を守れない。私が一番、私を守ることができる。言い換えれば、これは私にしかできないこと。また大事なこと忘れてました。今日は会社の上司が(いよいよ退職フラグが立っている)わたしを見兼ねて電話をしてくれました。もっと疑問を持たなきゃダメ、もっと吐き出さきゃだめとのことでした。帰りに、なんとなく引かれるほうへ進んで見えたあかい夕空をみて、ああこういうことね、となりました。四十路くらいのその人は本当にいろんな経験を経て、サイヤ人みたいな人になっている(と思う)。自身の心持ち、大事なことですよね。気づけて、思い出せてよかったし、会社にそういう人がいて良かったし、こういう人が福祉の仕事をしていてよかったと心から思いました。そういえば福祉って自分自身のこと(誰しもが当事者)だった、忘れてました。続けるか辞めるかはさておき(面白いとは思うけどライフ・ライク・ライスワークバランスをとるのが難しい)、やっぱりすごい分野だよなと思う。人の話を聞いて一緒に考えるなんてみんながみんなしていることなのに、国がお金出して仕事としてなりたっているってなんでやねんと大学の頃からずっと引っかかっている。帰りにおじいちゃんを想って久しぶりにお花を買った。お金はないけど、こういうのはとても大切。
7月18日
(あ)1時32分、職場の勝手口から見えたオレンジの星。見るのはもう最後かもしれないと思って、じっと見つめた。何億年前の光。あなたもみてるかしら
7月17日
(あ)祖父の葬儀を終え東京に帰ってきた。バイトと暗室ばかりで家に帰ってゆっくり家族と話していなかったから、ちゃんと顔をみて目をみる、そんな時間をもっと大切にしなさいと言われているようだった。とはいえこんな知らせ方はナンセンスだよ、おじいちゃん。数えで91歳だった。戦争の話はしたくないとしてくれたことは一度もなかった。デイサービスを仕事だと思っていってきますというひと。愛情深いのに頑固おやじ。いつも一緒にボケてくれたね、本当にボケた後もボケてくれたね。連絡をもらったその日に帰って、眠っているおじいちゃんの頬を初めて触った。冷たかった。こんなふうに冷たいんだと思った。私の手の熱で少しあったまったかな。室内でもサングラスをかけてたから眼鏡をはずしているおじいちゃんのこと20年ぶりくらいに見たよ。鼻筋が通って堀が深くてきれいだった。福耳だった。4歳くらいの時にひいおばあちゃんが亡くなって、次はだれなんだろうなんてなの気なしに(死がどういうことかわからず)話したとき、「次は私だわね」と笑いながら答えていたおじいちゃん。あれから23年ほど経って、ちゃんと次だった。本人は忘れてると思うけど。23年で死がどういうことなのかなんとなく理解したけどまだわからない。まだわからなくていい。これからもずっとわたしとともにあるおじいちゃん。これからもよろしく。ここ数日はホラーマンの歌が頭でずっと流れている、ホラホラおれはホラァーマン
7月16日
7月15日
7月14日
7月13日
7月12日
7月11日
7月10日
(ま)現在、9時19分。まよなかに歩いているとふと聞こえてきたZARDの「負けないで」を歌いながら自転車でかけていくひとの背中を見ていた。澄んだ声が暗闇に消えてあっという間に見えなくなって、こころの中で続きを歌った。いまは朝なのになんだかそのことが思い出されて扇風機に当たっている左足だけ少し冷えている。
7月9日
7月8日
(ま)現在、14時1分。改札を抜けて合流した母が歩きながら、祖母がラインをはじめたことを話してくれたとき、ものすごく高揚した。80歳を超えてピンク色のらくらくほんを使いこなす祖母はちいさくてしわくちゃで、それでいて幼くてあどけなくて斬新である。昨夜のざらっとした感じがまだ胸のなかにあって、どうにも落ち着かない。
7月7日
(あ)数時間しか眠れないまま朝を迎えた。正確には昼。マドンナの本の取扱店さんの紹介文がどれもお店さんにしか書けない言葉で紡がれている。マドンナはどんな気持ちだろう。
(ま)現在、10時15分。サラダ記念日の昨日は事務所ライブでずっと会いたかったひとに少しだけ伝えたいことを伝えられた。ほんの僅かにすぎなかったけれど、自分の思っていることを自分なりにことばにして相手に伝えること/受け取ること、それが今できていないことに気づく。どれだけ重要かということも。昨日更新ができていなくて9日現在、いま更新した。
7月6日
(あ)夜も疾うに更けて、夜というより朝に近くなった時間まで眠れずにいた。職務経歴書を書いていて、わたしはイサナでありとあらゆることをさせてもらっていたのだなあと文字にして実感するものがあった。二人とみんなに会いたいな
7月5日
(ま)現在、13時30分。二度寝、三度寝としてしまい結局もうこんな時間である。昨日わたしに本のおすすめをきいてくださったお客さんは二冊を手に取ってうーん、と唸ってから片方だけ持って帰ってくださった。自室の本棚にささっている同じ本をわたしも今日は久しぶりにひらこうと思っていたのに昨日はすっかり眠ってしまって読めずじまいだった。
7月4日
(ま)現在、24時10分。数年ぶりにお見かけしたのにその人が大学時代に俳句を習っていた先生であることはすぐにわかり、どうしよう、とか思う隙もなく気づいたら声をかけてあれこれ話をしていた。ずっと自分のやりたいことを手放さずにいるひとからの、そのままやりたいことをどんどんやっていって、もらっているものはいつか返せる時がくるから、ということばは今の自分にはとにかく滲みてこの先も思い出す機会は幾度もくるだろうと思う。たぶん今日先生に再会できたことはこの夏の印象的なできごとのひとつになると思う。先生にあったよ、と帰り道を歩きながら母とすこし通話する。彼女からいろんな話をきいてその中身のひとつひとつがどう、ということよりも、もっと頻繁に連絡をしようと思ったことのほうがつよく残る。母の大きなあくびを聞く。
7月3日
(ま)現在、9時55分。ファシリテーターの方が『富士日記』を読み上げている時にふとヤバハウスでしていた交換日記はわたしが持っているはずだったことを思い出す。段々とくたくたになっていく表紙の感じや誰かが書いてくれた「おつかれさま」に癒された夜があって、そこでのひびはもうないからこそわたしはそこで過ごした時間にたしかにまもられているといえる。その感じはあの暮らしを離れてから段々とつよまっているし、大切なことだから何度も何度もいう。ヘリコプターの飛んでいる音が近くに聞こえるが姿はみえない。わたしはいつ、ヘリコプターの飛ぶ音を覚えたのか。
7月2日
(あ)このプラットフォームが気付けば2年を迎えていることは先日の夏至の日からずっと思っている。ほぼ毎日更新していると2年は長いなと思うし、それから2年もあれば人も変わる。舞ちゃんという私にとっての small pieces の大きな一つの要素がなくなってしまってからずっと迷子である。迷子状態で続けていいものかと悩んで、でも辞めることを選択できずにいる。このまま更新していれば、わたしのとっての何かが生まれる気もするし、それから辞めるのは違うとわたしの中の何人かが拒否している。毎日更新できないくらいの状態でいるくせに続ける/続けられると思っているから自分でも自分に呆れてはいる、少し。2年でここがそれこそ怪物みたいな存在なった。間違いなく。それほど大事で、本質だから。怪物はすごい映画だった。昔から迷ったら京都に行きたくなる。京都に行きたい。日曜の神保町はさみしくて少し不安になる、季節特有のものもあるかもしれないけれど。日曜は私の休息の日にしようなどと思いながらうどんを食べた。窓からひと風だけ涼しいのがはいってきた。いよいよ2023年の夏が来る
7月1日
6月30日
(ま)現在、24時38分。図書館は長時間いると冷えるからあえてホットコーヒーの、それも一番大きいサイズを買って向かっていると小雨が降ってきて折り畳み傘をひらいたら一瞬で全体のバランスが見事にくずれ道路にコーヒーのほとんど全てをぶちまける。そのくらいじゃめげない。二件目のファミリーマートによって全く同じホットコーヒーエルサイズを手に入れ静かに向かう。家で開いていることを確認したにもかかわらず臨時休館日の看板が立っていた。次に近い図書館は歩いて20分かかるから、今日に限って大量に持ってきている書籍を見る。道端で小雨にさらされながらコーヒーを啜ってから歩いた。後輩というか知り合いというか何と定義したらいいのか曖昧なひとがインスタグラムに後藤明生の文学講義なるものを挙げていて、3回くらい見る。
6月29日
(ま)現在、1時9分。暑さのせいなのか電子機器がやられてしまい同じくわたくしもダウンしきっていた。秋田での展示のあれこれをいま別のところに綴っていて、それから蚊に刺されがいくつかでき左目がいやな感じで腫れている 。6月はとことん働くことをさぼっていてこんなに頑張らなかったことは昨年コロナでホテルにいたとき以来だろうと思う。ふと明日新潟に帰ろうかとこの時間になって思い立っている。
6月27日
(あ)目にはいった「吉澤嘉代子」から僕らの時代をtverで鑑賞。又吉はニューヨークに行くのもあるかもしれませんねと話していた。コロナ禍を経て今はお笑いの仕事より文筆業が多いと話していたけどどっちがどうとかはないといっていた。どちらも又吉さんのライフワークなんだ、そういう風にできる人ってたぶん稀だ、静かにそう思った。吉岡さんが話す、作ってやり切ったら終わり、あとはもう渡す、そして委ねるといっていたのはわたしも同じ感覚を持っているので印象に残った。作り終えた後、興味がなくなるとは違うけどやり切ったから手放してもいいと思えるというのに近いのだろうか。そうして新しいものに向き合っていく、もちろんそれはなかったことにするのではなくずっとそばにはあるけど。それから吉澤さんは言葉の所有欲から歌を書くと言っていた。わたしは言葉の意味をいろんな方向から考えてここだと思ったところを掘り下げて探る/探りたいという欲求が一番強いかも。言葉を作品とするなら。だから同じ話に帰属しちゃうのがあれだけど。人の話を聞くって自分を考える/覗くことでもあるから、やっぱりおもしろいなと振り返って思っている。ここもあなたがあなたを覗くきっかけや一助になっているのかな、なっていてもなっていなくても。なんてことを考えながらわたしに纏わりついている蚊取り線香のにおいを嗅ぐ。そうして今年の夏を五感に焼く。
6月25日
(あ)最終日はひとり。秋田駅からのんびり歩いて交点さんに向かった。旭川がやっぱり美しくて、橋の手すりに身体を預けてしばらくぼーっとした。黒い手すりは太陽光を集めていて、自然の湯たんぽだった。そのあとは通町でのよさこいの催しを片目に交点さんへ。カウンターに座って店内の9窓、カーテン代わりの白い布を照らす光がゆっくりゆっくり移動していくのを味わうように見た。オリジナルブランドの囀り(さえずり)はさわやかで花やかな香り。細川さんのりんごジュースは甘くて思わず笑顔になる味。チーズケーキにはひとつまみの塩。家のようで家ではなく、でも深いひと息をつくことができる場所。交点さんのいつもと変わらない尊い日々のひとコマに、無事に馴染めたような気がした。あっという間に閉店数分前になったけど、侑さんがまたきてくれたのが本当に嬉しかった。五十嵐さん夫妻と侑さんとまかないコーヒーをいただきながら、東京アフター小トークをした。贅沢な時間を過ごして、ゆっくり搬出作業をして、交点さんを後にした。
思うことはたくさんあるけど、本来であれば我々がみなさんをおもてなしする側であるところ、みなさんからもてなしていただいたように思っています。会期中も読書会も、ずっと。申し訳ないと思いながらも、優しさと温かさをじんわりじんわりと感じた秋田遠征でした。あなたのもとへ旅立っていった『東京』がどんなふうに過ごしていたか、これまであまり考えてこなかったことを目の当たりしたとき、『東京』はわたしが思うよりずっと強くて凛々しかった。展示最終日でようやくそれを実感できた気がしました。まえに関西の書店さんにご挨拶周りに行った際に感じた『東京』の頼もしさは、今回の秋田遠征と読書会を通じて、読んでくださる方の手に渡った後も背筋を伸ばしてそこにあるんだなと思えました。それは、販売者さんが頼もしさやほかの様々なエッセンスを纏わせてくれたまま送り出してくれているからなのだなあと今日ようやくはっきりとわかりました。販売してくださるみなさんの力を借りて、我々はここにいるんだなあと思うとこれからもやることは一つしかなくて。浮かんでくるうちはやり続けていきたいなと思えました。改めて早坂さん、篠田さん、吉田印刷さん、交点さん、読書会に参加してくださった皆さま、展示を見にきてくれた皆さま、気にかけてくださった皆さま、愛すべき友人、家族、マドンナ、本当にありがとうございました。そして舞ちゃん、わたしが落ちているときにはいつも引き上げるようにそばにいてくれて本当にありがとう。頼りにしているし、わたしも舞ちゃんから頼りにされていることを感じるたびに少しずつ強くなれます。常に一緒ではなくなって半年経とうとしているけど、日々移り変わる心情や状態、状況、距離、価値観から目を背けず、あくまでできるうちは、いろんな話をしましょう。小さな話を大切にみなさんにまたお会いできるように楽しみながら迷いながら物事を見つめてゆけたら良いですね。本当にいつもありがとう
6月24日
(あ)うまく言葉にできそうにないので、普段まいちゃんがしているように今回はすこしだけ発酵させてから投稿したいと思います。明日は最終日。よろしくお願いいたします。
(ま)現在、21時46分。夜行バスの座席にてPCの残量8パーセントでこれを書いている。40分出発だけど3分遅れて発車して、それから再び停まってもうひとり乗り込んできた。
今日のことを忘れないだろう。人生ではじめての読書会が自分たちのつくったものを見て読んでくださった方々とで、あまりにもありがたかった。秋田という場所で〈東京〉について語られたこと、それから語られずにいたこと。ばらばらのそれぞれにとっての〈東京〉が少しだけ重なったり、遠いままであったりしたこと。写真詩集『東京』がここまでわたしたちを連れてきてくれた。そしてそれはこれを読んでくださっているあなたの存在なしには、ありえない。ほんとうにありがとうございます。大切なことを思い出しました。明日最終日を迎えますがどうぞよろしくお願いいたします。
6月23日
(あ)ここ数日体調を崩し寝込んだ。向き合うべきものに目を背ける理由を無意識に作り、意識的に背けるようにシティーハンターを42話まで鑑賞した。何屋ってんねん私。療養中はいまのところ日本一ラブリーでチャーミーなひとが、支援物資を届けてくれてその中に冷えピタがあり、おかげさまで熱も下がり体調も良くなったので秋田に行ける。頑張ろう。写真は暗闇の足
6月22日
6月21日
(ま)所用で以前愛咲子ちゃんと暮らしていた街を何時間もひとりで歩き、引っ越してからたった数ヶ月しか経っていないのにその頃からたしかに時間が流れていることを驚いたり懐かしんだりした。古い建物は取り壊されてあたらしいテナントが入り、暮らしているころは全然寄れなかったお店が今日はやっていて、前にもいきたかったけれどおやすみだったお店は今日も休みだった。駅前の本屋さんに所狭しと貼られていたさまざまな主張ももう剥がされていて、大群で電車に乗り込む学生はみな夏の制服だった。何人かが改札で引っかかって急いでチャージをしていた。
6月20日
6月19日
(ま)現在、0時23分。昨夜は全然寝付けず扇風機をまわしてみたものの寝苦しい夜だった。ついさっき事務所で話した先輩が大会の決勝でかましていてあまりにクールで、いろんなことを考えた。起きて洗濯物を干してから埼玉まで野球を見に。集合写真を撮ったのに何度確認してもその写真だけ表示されずみんなに送れなくて申し訳なかった。こんなときに限って。蚊に刺されてどこもかしこもかゆいし日焼けもしたけれど太陽の下はきもちがいい。桜桃忌になると毎年今からこんなに暑くて大丈夫なのだろうかと心配になって、それから母が太宰の妻・美知子さんのことを話していた横顔を思い出す。
6月18日
6月17日
(ま)藤沢周の『屋上』を読んでふとフープのピアスを買い、気付けば二日連続で中野駅を歩いていた。明日は30度を超えるらしく、今日面接に行ったところで受けた説明は全然頭にはいらなかった。
6月16日
(ま)現在、1時59分。ラジオを聞きながらマツエクを着けに。暑くて吸い寄せられるように入ったコンビニで気づいたらまったく食べるつもりのなかったアイスを買って食べながら歩いていて驚く。最近こういうことが多い。まつげははじめての方だったけれどすごく綺麗にしてもらえて、やっぱりしばらくここに通おうと決める。いつもはすぐに眠るのに今日は眠れなくて、ひらすら足を組み直したり寝ようとしてみたりした。それから現美へ。一度スタジオへ伺った際に壁に貼ってあった写真が飾られていた。飴屋さんの「ブルーシート」のことを思う。夜かえってきてダウ90000のネタ動画を何本が見て、今年中にカジカジに会いに行こうと思った。シャワーを浴びてからポルトガルのポルトという港町のお土産にいただいた靴下を履いてみた。だって、あんまりかわいかったから。
6月15日
(あ)今日は学校の2階で作業をして先ほど帰ってきた。コミュニケーションエラーが怖いなと今日も思うことがあったので相手に伝わる言葉で自分の伝えたいことをしっかり伝えなきゃと思った。昼は妥協してはなまるうどんを食べたけど、一口食べてやっぱり妥協せず10分歩いて丸亀に行けばよかったと思った。わたしは丸亀が好きなんだ。好きなら愛でよ、わたし。まいちゃんにわたしの微定点おもしろいよと言ってもらえたので撮ってみようと思って撮ってみてなんか違うとなっている。まいちゃんを撮らなくなって早5カ月経とうとしているのにまだ迷子である。いまの between small pieces は写真だけじゃなく 迷子 である。わたしたちそのものだと思う。これでいいけどこのままではよくない。明日は志賀さんの作品を見に現代美術館へ行こうと思う、迷子のまま殴られてくる
(ま)現在、22時24分。面接に二件続けていったらくたびれてしまったけれど一日も早く働かなくてはならない。
雨に濡れた満開の紫陽花、ハイヒールのサンダル、電車のなかでの居眠り、ふかい丸の内線。共感、元気じゃないっていうことば。だいじなことは簡単に書いてしまわないこと、ゆっくりと発酵させること。YouTubeのさいしょの動画、味噌ときゅうり、六月の木曜日。
6月14日
6月13日
6月12日
(ま)現在、23時26分。秋田から新潟に来ていて、今日には東京に戻るつもりが仕事が入っていなかったので新潟で過ごすことに。母とコーヒーを飲みに行って新しくなった駅を少し歩いた。母は溜め込むことをしないのですぐに返事をするし段取りを組む。なんでも後回しにしてしまうわたしは色々と反省をしながらノウハウを教えてもらう。もので溢れている自室を少しでも片付けようと思ったけれど、シルバニアファミリー、香港で買ったチャイナドレス、一度も着ていないアオザイ、パリでまこちゃんと買ったサングラス、ずっと探していたものなどが次から出てきて、片付けというよりも散らかして今の時間である。昔の写真を突然送りつけても、すぐにおもろ〜と返事をくれる友人がいてしあわせだと思う。
6月11日
初日
(あ)昨晩は搬入の後、とても素敵な洋食屋さんでごちそうプレートをいただいた。とても楽しくお話しさせていただき、温かな初日前夜を過ごした。安宿にチェックインして、舞ちゃんと歩いて近くのスーパー銭湯へ向かう道はわたしはまだ行ったことのない広島を感じたけど舞ちゃんは鴨川と言っていた。広い和室でまるでヤパハウスのような深くて長い夜を過ごした。チエックアウトギリギリで宿を出て散歩しながら交点さんへ向かった。無事に初日が始まった。
(ま)昨夜ですっかり秋田はこの場所に、このひとたちに、会いたいから足を運びたいと強く思う場所になった。愛咲子ちゃんはよく着ている彼女にとても馴染んだロングTシャツを着ていて、それからはじめて見るお帽子をかぶっている。会場に向かう途中で見かけたおじいさんの動きが俊敏でたのもしかった。思ったよりもつよい日差しの秋田にはいい風が吹く。吹いては吹き抜けてゆく。
6月9日
(あ)早めに起きてシャワーを浴びて、バスタオルもしっかり干して予定より30分前に家を出た。新幹線乗り場はなぜかGWの時と同じくらい混んでいた。今朝チケットを購入したのでスムーズに入場。昨晩準備する時間をもてたので荷物をさらに減らせたのもよかった。朝最寄り駅で買った弁当を取り出して食べようとしたらデミグラスハンバーグのデミがほぼこぼれていて、ただのハンバーグだった。昨日の大苦行に比べたらかゆくもない。秋田まで残り1時間弱。無事につきますように。
(ま)この一週間のたうち回っていた。働きにもいけず、ものすごく期待して取っていた芝居にも当日身体が動かず観にいけなかった。ほんとうにひどい有様で、時間があるからと言ってぜんぶを上手に使えないということがほとほとよくわかった。むしろ制御があるなかで時間を決めて作業をすることの方が本来向いているのだと思う。それでもいつもの通りくるしかったけれど、その中でしかわからないことはとても多いし大きい。
現在、10時15分。秋田駅に降り立って朝食を食べてこれを書いている。いつもはしないけれどコーヒーのおかわりをした。こうして今日がはじまってゆく。思ったよりもずっと肌寒く、思ったよりもずっと多くのひとが駅を歩いている。
6月8日
(あ)本当にいろいろあったことを物語ってくれたのは、わたしのアイフォンだった。フジロックに行ったわけでもないのに23455歩歩き、階段にして59段、距離にして16キロ走ったらしい。566キロカロリーを消費していた。このままだと胃に穴が空くと思って、学校から家までタクシーで帰って、乗る予定だった夜行バスも見送った。これでいいんだ。お金で解決できることがあることを知った。お金に頼ることで負担がこんなにも減っていくことを知った。次からはアルバイトを雇おうと思う。知らない誰かに3万払うよりも(もちろんサービスへの対価なのでしっかり払いますが)手伝いたいと思ってくれている人がいるのならお願いしたほうが良い気がした。今日の学びである。
6月6日
6月4日
6月3日
(あ)台風一過の満月
6月2日
6月1日
(ま)ひさしぶりに履きたくなって大切にしているスカートを履いて横浜へ。展示を見て歩いていると大学受験の前日にタクシーで送ってもらって数時間だけ勉強した図書館に着く。とんでもない坂の途中にあって建物というよりもその坂に見覚えがあり、やっぱりその図書館だった。ギターを担いで自転車をガシャンガシャンと言わせながら坂を登っていくひと、ミントグリーンのカーディガンをはたなびかせて悠々と下り坂にさしかかるひと、電動自転車ですいすいと駆け抜けるひと、この街で暮らすことはあまたある勾配の急な坂とどう向き合うかと密接にかかわっていそう。本屋さんで、以前返してもらうつもりで友人に貸してかえってきていない本をみつけ、このところその本をずっと読みたかったので我慢せずに買う。だれかに貸す時はあげるつもりで渡す、といっていたあさちゃんのことを思い出す。ききたいことをきけずにおわってしまったけれど、そのままでもいい気がした。帰ってきて段ボールをすてにいくと道路の真ん中からじっと動かないひとがいてこわかった。土砂降りの雨はあの坂にも降っているのだろう。
5月31日
5月30日
(あ)ここ最近は頭だけ忙しくしてしまい、手はも身体も動かせなかった。罰が当たったように、昨晩みぎうで・ひだりうで・みぎあしと蚊に刺されまくった。一夏分くらい刺されたのではなかろうかくらいには血を吸われて、全身がひどくかゆい。とくに、みぎあし小指と、みぎうでわきの下2か所。結局前髪の微定点もしkっくり来ず、どうしようとなって迷子。
5月29日
(ま)今日、明日と雨らしいがどうしようもないのでお洗濯物をまわして部屋干しをする。ハンドクリームは冬じゃないからって油断せずに塗ったほうがいい。
5月28日
(ま)花火をするって聞いて五月にする手持ち花火ってなんていいのだろうとワクワクしながら同期の家に着くと、わたしの到着が遅すぎてもう全然花火のモチベーションではなくなっていた。ぽつぽつと話をしていたつもりなのにそのまま眠っていた。起こしてもらって以前から楽しみにしていたライブに向かう。高円寺にあんないい劇場があるなんて。これから二年間の担当を決めるたいせつなジャンケンにものすごい勢いで負ける。少し前から読んでいる伊藤さんの『激ヤバ』がクールすぎて、負けたほうが美味しいやん、と思っている自分もいる。実際そんなことはないのだけれど。
会場は楽屋が屋上で風に吹かれながらヤパハウスのことをひとりで、思った。
5月27日
5月26日
5月24日
(あ)疲れすぎて前髪を切った。ぶつ切り。宮市亮が30歳になっていた。疲れた
日にちを間違っていることに気付く、5月25日17時12分
(ま)はやくから出かけて一日中作業しようと思っていたのにたくさんお昼寝をしてしまい夕方から図書館へ。喉にいやな感じがあったけれどあたたかいそうめんを食べたら随分やわらぐ。窓際の席は大きな窓から夕日が沈むさまがよく見えて隣の隣の席のひとがさっきゆっくりとブラインドをあげた。後ろに座っている中学生の線イヤホンからはずっと椎名林檎の同じ曲が流れている。日がこんなにも長くなっていたことにしみじみとしながら、ひたすら文字を打っている。文章になる前の断片のものや、ふっと湧いてきたそれ、をとにかく吐き出すように打ち込んでいく。寝過ぎたせいで頭がおもたく、なんだか体温も高い気がするけれど今日は閉館までここにいる。
5月23日
5月22日
(ま)現在、17時13分。目覚ましをかけずにこれでもかというくらい眠り、13時すぎにモゾモゾと起きてナッツと冷たいコーヒー。そこからはたくさん寝た分ウキウキしてきてお掃除、お洗濯、洗い物を楽しくこなす。歌とかうたっちゃいながら。一日中おうちにいていい休日がひさしぶりなのでおざなりになっている色んなものをなんとなく正していって、とにかくいま暮らしているお部屋の規模を考えるとものを捨てる以外にこれ以上快適にできる要素がないという結論に至る。でも何を手放すのか判断するキャパシティがいまはない。キャパシティのことを大体のひとはキャパという気がする。こころが何だかささくれていてこんな時にはもうお買い物しかない!とネットであれこれ見ていて、そういえば伊勢丹に行こうと思って2ヶ月くらい経つ。何かを手放そうとしながら常に何かあたらしいものを求めている。これをしていてはずっと空白がうまれえない。
日が暮れたら洗濯物を取り込んで本屋さんとスーパーへいく。愛咲子ちゃんが前に撮ってくれた写真のなかの自分とときどき目が合う。
5月21日
(ま)現在、5時52分。目が覚めてお洗濯物をまわしてご飯を炊いている。今日は働きにいってからライブへいき、明日は1週間ぶりのおやすみだから一日中作業をする。その合間に書きたかったひとにお手紙を書いてこれでもかってくらい本も読もう。養成所でのいちばん最初のライブでわたしの名前を覚えてくださっている先輩が多くて見てくれて嬉しいと思う反面、見られたいと思うことの恥ずかしさもある。外ではカラスが鳴いている。
5月20日
(ま)ほんとうに色んなドラマがあるなぁと改めて痺れながらセカンドの決勝を見て15年という時間の流れを思う。ただそれにしても6分は長くてそれだから一瞬である。おうちに着くと昨夜落合さんからいただいた金メダルがひかっていてそのことにとても救われる。ひろちゃんから届いた葉書をお花の写真のよこに貼る。金川さんの『いなくなっていない父』を読み終わり、そういえば読む前から〈不在〉ということばが最近頭の中にあることに気づく。
5月18日
5月17日 11時48分 東京#277
(あ)撮っていたらロールが切れたので明日買いに行かないと。いろいろやらねばならないことが思っていた以上に多いのとそれなりに深く向き合わないといけないので「・・・アカン」となっている。9月に間に合うんだろうか。やれるだけやってみる
5月16日
(あ)実家の広辞苑を送ってもらって気になっていた言葉を索引した。毎週火曜は近所の八百屋の特売日なので仕事終わりに寄っていちごを2パック購入した。新しいカップに入れながら流水で洗って、カップの中でいちごに踊ってもらった。自分のためにカラー写真を撮ろうとなんかさっき思った
(ま)現在、2時28分。ずっとブログを読んでいた方とご一緒されていただきふらふらしながら帰宅したのだけれど、今夜の月はこころに焼き付けなければと思い今ほどベランダに出るも月も星も見えずじまい。ひさしぶりに文字通りあぁ、東京だと思う。
5月15日
(ま)現在、0時23分。新幹線のなかで丸々ねむってしまい東京駅に着いて慌てて降りる。おうちで荷物を置いてから前から予定していたはじめてのメンバーで展示にいく。同期と言ってもちゃんと遊んだことは数えるほどしかなくいろいろと話をする。時間があってもあっても足りそうにない。21時すぎに帰ってきてから眠たかったのにやる気に満ちていて少しだけ走りに行った。夜のジョギングがひさしぶりすぎてその新鮮さにくらくらした。実家にいて社会人になりたてのときはしばらく石ちゃんとジムに通っていて、そのころよく筋トレしながらかけていた曲を聞いてみたけれどしっくりこない。大きな坂が多いけれどこの街でいいコースを開拓したいし、長く走れるようになりたい。
5月14日
(ま)現在、22時2分。家を出るときに降りかけていた雨はすっかりやんで、はじめて納骨というものに立ち会う。お墓ってあぁなっているんだ。ぜんぶが終わってから、明日からポーランドに飛び立つ友人といつもの神社を歩いた。ここでたくさん話をしたし、何にも話さない時間もたくさん過ごしたように思う。帰り際、本降りになった雨に結構濡れた。兄はいっしょに骨を食べてくれた。
5月13日
(ま)現在、0時12分。起きると嫌な予感がしてすぐさま窓のそとを確認すると雨が降っていて、昨夜干した洗濯物たちが見事にさらされていた。ごめん、と思いながら取り込むと思ったよりも乾いている。東京駅で毎年母の日にわたすクッキーを買うが、人気みたいで母の日パッケージがもうぜんぶでてしまっていた。いちばんお花の多いものを今年はすこし多めに買う。乗りたかった新幹線の2本あとになんとか乗り込む。植本さんの『愛は時間がかかる』をぐんぐん読んでいくが途中でひどい眠気におそわれて後半はずっとねむってしまった。ほんのもう少しが読み終わらずに1ヶ月半ぶりの新潟駅に降り立つと気持ちのいい気温でやすらぐ。ということは東京はきっと肌寒いのだろうなと思いながら、バスには乗らずに歩いて自宅に向かう。橋をわたりながら一年前までこの街で会社勤めをしていたことがほんとうに信じられないような気持ちになって、でも確かにその時期があったことはわたしが誰よりも覚えているのだった。新潟にいたときの自分をわたしはどこか許していないところがあって、それはなんというかもっといるべき場所があるはずなのに安全なせいかつを手放せなかったことであるとか、挑戦せずにいたことだとか、会社員をしながら「会社を辞める」と2年くらい言い続けていたことだとか、そんなことを思い出そうともしないのに考えに浮かぶそれらを考えながら、とにかく黙って歩いた。
いちばん広い居間の畳が張り替えられていて、大きな孔雀の剥製が置かれていた場所には祖父の遺影が置かれている。夕食が終わってコーヒーを飲んでいるときに帰ってきた兄に「明日いっしょにおじいちゃんのお骨を食べよう」と言ったら嫌だと言われてしまった。その1時間後にIPPONでホリケンの回答に大笑いした兄が「やっぱり食べる」と言って、父と母とわたしはいっしょにそれを聞いた。
5月11日
(あ)緊急速報で4時半に目が覚める。古い家なので波線のような揺れ方をしていた。そのまま少し眠って7時30に母からの電話で起きた。今日は交点さんで購入したコーヒー。ドリップパックから粉を出してフィルターに入れてハンドドリップをしてみた。イサナのブレンドと似ていた。空御籤には美しい言葉が書いてあった。
下の階の住民も私の同じように窓をあけているようで誰かと話しながら結構なボリュームで昭和のポップスを歌っている。みんなにきかせたい。けっこうきれいな声
5月10日
(あ)わたくしもだいぶ早くに眠ってしまって、朝もだらだら過ごして、昼にようやくシャワーを浴びて、いま仕事をしようとしている。でもまずはこちらを更新してみている。写真をスキャンする前に家を出てきたので帰宅したらスキャンして載せます。こんなに晴れているのに洗濯は一切できておらず、そろそろ洗濯機から洗濯物があふれてきた。さすがに今夜から明日にかけて回さなきゃとおもっていつからかわからない竿にかけっぱなしの服を撮った。昨晩からコーヒーを4杯も飲んでいる。だけどちゃっかりカフェインレスを飲んでいるので手は震えない。眠くもなる。これから7時間働かないとなのに眠い。いまはローソンで半額になっていた飲むヨーグルトを飲んでいる。
(ま)21時にはねむってしまっていてぴったり12時間ねむって目が覚めると、どこからか音がしてよく見たら水道がでっぱなしになっている。ため息をつきながらすこし強めに蛇口をしめる。窓を開けると気持ちのよい風がはいってきてまだ大丈夫だと思える。冷蔵庫で冷やしているパックを顔に貼り付けてもう一度目を覚ます。PCのスピーカーがこわれてしまったようでラジオを流すけれど音がちぎれちぎれにしか届かない。いま初対面のひとに元気?と聞かれたらきっと正直に「元気じゃない」とこたえるし、ついさっき熱々に淹れたはずのコーヒーは、もうぬるい。
5月9日
5月8日
(あ)朝東京に帰ってきて少し休もうとベッドに入って目が覚めたら11時54分だった。まだ雨が降っていたので洗濯はあきらめてたまった洗濯物をみつめてぼーっと過ごした。おみやげでいただいたディズニーランドのカップラーメンをすすりながら仕事の準備をして向かう。もう雨はやんでいたけどいつもの電車が遅延したので銀座線に乗っていった。ハンバーグを作ろうか悩んで結局麻婆豆腐と餃子にした。今夜の東京は14度。結構冷えてる
5月7日
(あ)「山菜定食1500円」という母の掛け声で起床した。のんびりして昼過ぎに家を出て来週外国へ行く友人に会いに。ゆっくり歩いて少し話をした。明日またすぐ会うようなテンションで別れてから打ち合わせへ。打ち合わせと言っても顔なじみの人たちに会いに。「ポジティブもネガティブもそういう状況が写るだけ」という話には背中を押してもらうような気持ちになった。わたしのポジティブってなんだろう。あなたはどうですか
5月6日
5月5日
(あ)自宅に戻ったらきちんとスキャンしたいと思っています。昨日から秋田の山奥に来ています。今回は家族で。母と祖母と叔母と。昼は祖母の10個上の姉家族との会食がありました。祖母たちは同じ家で家族として育って、今はばらばら。それぞれがそれぞれを家族を作り、こうして集まれるのが嬉しく、そして不思議な気持ちでした。うまく言えないけれど、育ちの違いや家庭・家族状況の違い、ここではあえてひどい言い方をすると格差のようなものを感じました。それはさみしさのような恐縮のような、かんじたことがあまりないうまく形容しがたいものでした。わたしはわたしが選んで今を選択しているから後悔は一切ないけれど、家族のことを考えると少しというよりかなり引け目を感じてしまいました。相手も話すことはなさそうで、わたしも自分を卑下するように話してしまいそうで、あまり話せませんでした。祖母と祖母の姉はこんなにも仲良しなのに、わたしはうまくできなくてごめんと思いながら、笑ってその場を過ごしてしまいました。うまくできていただろうか。これは私が勝手に感じてしまっているだけであって、家族がどうとか祖母の姉家族がどうこうの話ではありません。仲はいいとは思っています。家族だし、会食するくらいだし。ただ今日のわたしが感じたこれらはわたしが忘れたくなくて記しました。家族のかたちの変化をその進行を目の当たりにしたかんじ。この気持ちを抱いたまま私は私のやるべきことをやろうということで、浮さんを聴いています。
5月4日
(あ)これは5月3日のメモ。「新潟に帰ってきて浪漫革命を聴きたくなった自分に安心した。異人池図書館からの帰り道を、あんなつぁを聴いて歩いて帰った。途中、萬代橋からふと見上げた蒼い空に孤独に輝く月から目が離せなくなった。まだ涙を流せる自分の感受性にも安心できた。まだまだやれる。離れているあなたを想える幸せをもっと大事にしよう。そばにいるあなたにふれられる温度をもっと大事にしよう」
5月3日
(ま)現在、1時41分。目を覚ますと昨夜ねむる前に振りかけた香水がかおって、それが好みのほうへ変化していてすこぶる気分よくベッドから出られた。ひさしぶりに朝の出勤なので7分くらいで家を出て働きに向かった。どうにかしなきゃいけないことを1週間ほどそのままにしているのだけれど天気が良いおかげでなんとなく足取りが軽い。向き合わなければいけないことは先延ばしにすればするほどしんどくなると知っているのに、やってしまう。先日撮ってもらった宣材写真が送られてきてもっとも笑っていないものにしてくださいと連絡をして、それからひさしぶりにお湯を張って浴槽で本を読んだ。金原さんのエッセイのつづき。父から電話がきて、わたしが9割ひとりで話す。肝心なことを話せないままベラベラ話す。なにを話しているのか自分でもよくわからなくなっても父はなにも言わない。
このごろ気に入って使っていたしおりをお湯におっことしてしまって、そのときに再配達の紙が届いていたのを思い出して明日の午前指定で荷物をたのむ。何の荷物かわからないけれどわたしは今日も香水をふりかけてねむる。
5月2日
(ま)現在、1時20分。目覚ましをかけずにねむってしまい5時に気づいて電気を消して、9時にちゃんと起きる。いろいろ必要なものが見当たらなくて一間のせまい部屋の床が見えなくなるくらいもので散らかる。見なかったことにして鍵をかけて働きに。いつも以上に空いている電車、日陰に入るとぐっと低くなる気温、いつまでも肌寒い新潟の春を思いながらいつもの坂道をあがってゆく。昨日新潟から来ていた元職場の後輩から届いた展示の案内に、どきりとする文章がある。あっという間に日常にのまれている。ピンチ度だけで言ったらこの1年間でいまが一番ピンチなので「誕生日付近はものすごく運気が良くなる」と以前母から言われた説だけをたよりに、それだけを胸にどうにかこうにか過ごしている。
いまの話をするときに少し遠くを見つめるマドンナの横顔、みおさんのピアスの揺れ、愛咲子ちゃんのあたらしいカメラ。高く高くずっと向こうでひらく藤、曇天の日暮れ。春の奈良。たくさんの景色はこの先もわたしをまもってくれる。もっともっと、よく見たいと思う。
5月1日
(あ)今日から5月ということをbetweenを更新しながら思っている。更新できなかった昨日は奈良へ行っていた。マドンナとみおさんと舞ちゃんと大切な人たちと現地集合をして、一緒にゆっくり巡った。途中、渡韓したり、鹿や人のうんこと戯れながら、自由に気ままに楽しんだ。旅の目的は奈良蔦屋さん。久保田さんは春風のような方で穏やかにときに颯爽としている印象を受けた。『私の愛おしい場所 BOOKS f3の日々』や『北書店の本棚』、三角フラスコさんのモカジャバ、ほか新潟の本やコーヒーたちが並んでいる棚をゆっくり眺めて、期間限定と言えど新潟の一部がここに受け入れられていることを嬉しく思った。われわれの『東京』も先日のBOOKNERDフェアから引き続き置かせていただいていて、申し訳なさそうな顔はせずそこにいてくれた。ありがとう。大切で大好きな人と歩く時間をかみしめながら過ごした。旅の終わりにタクシーでいったお店がここ近年で一番いいお店だった。そこに行くために奈良を訪れたくなるようなそんな素晴らしいお店だった。帰りの深夜バスは何度か目覚めたけれど体感45分くらいで東京に着いてくれた。おみやげで購入した奈良シトロンがおいしすぎてもっと購入すればよかったと後悔。また行こう。今日明日バイトをして、3日から秋田へ。写真を撮りに行く
4月30日
4月29日
(あ)昨日ベッドに入ったのは2時とかだったのに目覚めてこれを更新している。テレビをつけっぱなしで寝てしまって起きたらaikoのインタビュー番組がやっている、大阪城が映る。携帯からはザ・バンドがながれている。これから朝食を食べる。今日は合間に音楽ではなく『この世の喜びよ』を読もうと思ってカバンに入れた
4月28日
(あ)祝日前夜の新橋も大いににぎわっている。なんとなく目に入った福山雅治のスプリングプレイリストを聴いてみたらこれがかなり私得であり、あまりきいたことはなくても福山さんらしさを感じるセレクトになんだかほっこりした。昼くらいに早坂さんがインスタグラムにあげていたのは聞くところSandrayatiのSafe Groundという新しいアルバムだった。一通り4周ほど聴いて、わたしは涙は出なかったものの、美しいアートワークと音楽からありがたいことに創作意欲とアイディアが湧いてきた。タイミングよく来週久しぶりにきょういちろうくんに会えるので色々撮りながら作ろうと思った
(ま)一度起きてからまたねむって、結局夕方まで寝たり起きたりを繰り返してそれからすこし作業をしにいく。ほんとうみたいな夢を見て出てきたひとにその話をしたらそれは今後あるねと言われて、わたしも同じように思っていたから嬉しいと思った。日が暮れてからやっとお洗濯物をほす。待ち合わせにちかさんはまた自転車で颯爽と現われた。書くことやその型のこと、領域のこと、書き方のこと、こんな風に誰かと書くことについて語り合ったのはたぶん初めてでずっとこんなお話をしたいと思っていたことに気付く。それからとにかく書き続けることしかないのだと思う。今年はがむしゃらに書く。そして取りこぼしてしまうことにももっと抵抗する。本をたくさん持ってちかさんがいる間にきっとロンドンへ行こうと思いながら満員の山手線に揺られた。帰宅するとムー子さんから詩集が届いていて、明日からの奈良旅行に持っていくことに決めた。また家賃をはらい忘れている。
4がつ27日
(あ)ひさしぶりに生理痛が激痛
(ま)働きにいくともう着いた瞬間に汗をかく季節になったのだと思った。日差しがつよくあっという間に日焼けしてしまうだろう。金原ひとみ『パリの砂漠、東京の蜃気楼』と國分功一郎『目的への抵抗』を買って帰宅する。金川さんと植本さんの新刊もはいっていたけれど今日ではない気がしたので買わないでおいた。本をひらいたままねむってしまっていて4時に気づいて電気を消したとき、外はまだ暗かった。
4月26日
(ま)雨の音で起きる冷えた朝。お洗濯物がたまっているので干したかったが諦めてご飯を炊く。すこし時間に余裕があったので阿久津さんの『読書の日記』をひらく。持っているのはサブタイトルが〈InDesign 入籍 山口くん〉というもので日記シリーズの4にあたるものらしい。ちなみに1から3は読んだことがない。触っているだけでこんなにも嬉しくなる本があるなんて。ページ数もそれはそれは多くてかんたんには読みきれそうにない。傘をさして働きにいく。お客さんに「姉AGEHAってありますか」と聞かれて高鳴った胸は今なお、高く鳴り響いている。どこかに寄り道したい気分だったが頭痛がひどいので真っ直ぐに帰宅する。岸さんのツイートが流れてきてもうすぐ発売となる『沖縄の生活史』の特設サイトをみる。みすずでこのページ数でこの値段なのか、と真っ先に思ってしまった。帰り道に生のにんじんにリボンを結んで胸のまえでもつ前で持っているひとがいた。あのひとの胸も高鳴りつづけているといい。
しばらく更新ができずにいたのですがここにくると記したいことが次から次へとわいてくる。まずもってわたしがこの場にすくわれている。愛咲子ちゃん、いつだってありがとう。
4月25日
(ま)町田康を見れた話しをしたら、そのひとも今日ちょうどINUを聴いていたよと言って嬉しかった。なんだか連動しているみたいで。へいぼんな文章にしたくないと思えば思うほどそれはひどく、平凡なものになる。
4月24日
(あ)先日東京から地元に帰った知り合いが夕空の写真をインスタグラムにあげていて、このひとはもうここにはいないのかと少しさみしい気持ちになった。と同時になんかいも同じことを書いているけど、自分がここにいることへの違和感のようなそれとは少し違うような不思議な気持ちになる。東京も新潟も同じ日本だし、もっと広い意味で言えば同じ地球なんだけど。知らない土地も減ってきて、この街の特徴やひとのながれにも慣れてきた。こっちにきてからの友人も少しづつ増えてきている。だけどじぶんがここにいるという実感だけがまだない。でも新潟にいるときも自分がどこにいるのか何をしているのかわからなくなる。まるで自分の居場所がないような感覚に近い。迎えてくれる場所も、ひともたくさんいるのに自ら孤独になろうとしている自分がいて、なんて薄情/ありがたい(もっと適切な言い方があるとおもうけど)なやつなんだとも思う。東京を知りたいと思っていた昨年、いまは、ここと自分との関係みたいなものを知りたいと思っているのかもしれないわからない
(ま)こころから頼りに思っている同期に誰にも言えずにいた話をしてみようかな、と思ったけれどやっぱりしないでおいた。しないでいてよかったと思いながらひとりで帰っていると目の前にとんでもなく大きな吐瀉物が現れた。この道ではいてしまうひとがあまりに多いし、わたしは足元を見ないで歩いてばかりである。あいたい人には目いっぱい会えたり、会えたのに全然会い足りなかったりした。
4月23日
(ま)働いている途中になんの脈略もなくほんとうにふと、祖父がなくなったことを思い出して身体中がきゅっと詰まるような感覚を覚える。音が遠ざかって息が吸えないと思ったら騒音がもどってきて一瞬でどこにいるかを思い出した。4月がはやく去ってほしいと思っていることがかなしく、また虚しい。
4月22日
(ま)働いた帰りにあやねちゃんの展示をみにいく。あやねちゃんとたまたまご一緒したふたりと4人で色々話す。明日の選挙のこと、今日のデモのこと。
4月21日
(あ)今週はひどく疲れてカメラを持つことができなかった。疲労というには安直な気もするけど、心配してほしいわけじゃないから疲れたと記してみている。久しぶりに参っていて、胃も痛くなってきたので、東京に引っ越してくるときに持ってきた数少ない写真集たちを眺めて少し涙を流してみた。分かり合うことはこんなにも難しかったのか。どうしたら分かり合えるのだろう。どうしたら戦争はなくなるのだろう。分かり合えないことを前提として捉えても傷ついてしまうのはなぜだろう。分かり合うためにわたしたちは向き合って話しているはずなのに。結局意識していないどこかで<いつか分かり合える><戦争はいつかなくなる>と期待をしてしまっている自分がいるのだろうと思う。希望を持つことと、信じることはちかいけど、期待を持つことはぜんぜん違う。わたしはこれまでずっと何に対しても対峙するように向かい合うようにそれを見つめてきて、だから正面から良くも悪くも色々なものを受けてきたんだけどそうじゃないのだとも思う。となりに並んで同じものをみること、あなたがみている世界をあなたを想像することなんだと思う。それが分かり合えないことを前提で分かり合うことを問うことなんだろうと今は思う。ヤパハウスに住んでいたころ屋上で、ひろこちゃんと舞ちゃんとわたし、三人で並んで、同じ朝焼けを見ていたときに出たひとつの答え。大切な答え。書いてたらちょっと元気でた
(ま)学校へいき、そのあと舞台を見る予定が間に合わずすぐに帰宅する。電子レンジのなかで卵を爆発させてしまう。さんざん。
4月20日
(ま)思いのほか早く学校が終わり、今までだれともご飯を食べたことがないという同期とごはんを食べにいく。驚いた。3時間くらい経ったかなと思って時計を見たら6時間以上過ぎていた。たしかにちゃんとひとりにならなくては、どんなひととも一緒にはいられまい。
4月19日
(あ)朝のんびりしすぎたツケがまわってきている。昼に再放送の昼顔をみていた。吉瀬由美子と加藤さんの色気を思うと紗和さんとなんとか先生はまだまだつまり20代なんてまだまだなんですね。帰ったらちゃんと更新したいけどまだ帰れそうにない。
4月18日
4月17日
(あ)昼すぎまで寝て、行けなかった展示のことを考えながら仕事へ向かう。今日はありもののチャーハンと餃子、たまねぎとトマトのスープ、杏仁豆腐。明日はピカタをメインに作る予定。日中は学校の展示に行くので今日はよく眠りたい。
4月16日
(あ)バイト帰り、大きな花よりも小ぶりのお花が好きと聞いたのでシラーとカラーを贈ったらとても素敵な組み合わせで私が嬉しくなった。
(ま)公園でネタ合わせをしていると町内の消火隊のかたがたの訓練がはじまって、自分たちの練習をせずに2時間丸々見てしまったのはこの日の出来事ではない。だがその公園にこの日もいた。
4月15日
(あ)待機の予定が結局稼働となった。4か月ぶりに入る案件だったけど変わらずの顔ぶれだった。聞ける人にはきいてみたけど、みなさんずっと続けていたとのこと。続けている理由は様々で、人の数だけ話があるよなあと今日も思う。夜は2日連続でソーキそばを食べた。
4月14日
(あ)今日は少し東へいって大きく北へ移動して、東に向かって、大きく西に移動して帰宅した。帰宅して迎えてくれたカモミールとチューリップさん、玄関の白いアディダスのスニーカー。いい日だった。明日は現地待機のバイトで、稼働がなかったら展示に行きたいと思っているけどいまのところ五分五分。いまは実家に忘れたメガネの配達待ち。19時から21時でヤマトさんが来る予定。待っている間に『九条の大罪』を読む
4がつ13にち
(あ)壊れたカメラの修理と新しいカメラの購入どちらが良いか考えて新しいカメラを購入した。簡易接写フィルターがあったので使ってみた、使えた。ファインダーと実際の写真が全然違くて笑った。昨日は舞ちゃんのラストライブにマドンナと向かう。前から数列目の真ん中に座って、31期生のみなさんのライブを浴びた。泣けた。みなさんの人生が明るいものであるように静かに願った。
ごはんをごちそうになった帰り道、中央線で自分に一番似合う駅は高円寺かもと思ってしまった、いやだけど。マドンナは東中野かなあ、舞ちゃんは中央線じゃないけど中野坂上。中央線じゃなかったらマドンナは目黒線とか大井町線が似合う。
会社の近くを歩いていた時、立ち止まった花屋さんで売り物にならないからといただいたチューリップ。もう会えないかもと思ったけど会えたね。
4月12日
(ま)現在、11時40分。ご飯が炊けるのを待ちながらひさしぶりにこの更新をしているとチャイムが鳴って、カラーボックスがこの部屋に届けられた。
4月11日
(あ)今朝はフレンチトーストを作ったら喜んでもらえて嬉しかったのと、だんだん利用者が自身の話をしてくれるようになってきて嬉しい。帰宅して洗濯をして寝る。昼過ぎに起きて、高野さんの展示へ。何年振りかの横浜。たまたまタイミングが合って快地くんと見に行けた。ここ近年でいちばんよかった。こないだ考えていた、<いまのわたしにとっての写真>についての答えを見つけることができた。現在地を見つけることができた。あとはどう向かうか、そして進むだけ。素晴らしい展示だったから、今製作している作品をしっかりやり切りたいと強く思えた。帰りは横浜の裏側のような街を散策しながら帰った。今日も知らないを知れた。明日は舞ちゃんのライブなので早く出勤してその分早く退勤する。
(ま)最後の授業を終えてかえってくるとものすごい空腹で、サラダとお弁当とそれからパンを食べて紅茶を飲む。一気に食べ過ぎてしまいつかれていたのもあって1時間くらい眠る。薄着に羽毛布団がちょうどいい。お湯をためてお風呂に入りながらアリ・スミス『五月』を読む。とんでもなさすぎて言えることがまだない。上がって身体中にオイルを塗っていると同期から先輩のラジオで話されているのがどうやら今日の我々のことらしいという連絡がありきいてみる。ライブが終わったら買う本を決めた。心底へんてこで変わりに変わっている同期がふと言った「さびしいじゃないすか」を茶化さなきゃよかったなと思いながらわたしも今頃さみしさを噛み締めている。ラジオでされているのは我々の話しだった。
4月10日
(あ)9時に起きる予定が10時半ごろまで寝ていた。急いで準備をして、千晴さんのグループ展へ。とても素敵だった。アンテナを、上から見たり下から見たりして、自分以外のだれかのまなざしや、このちいさな町のしらないだれかの生活を想像した。「優しい」作品を作りたいと思った。無事に千晴さんにもそのお友達のアトリさんにもお会いできて、少しお話しして、新幹線に乗って帰ってきた。明日はこの優しい気持ちのまま、高野さんの展示へ行こうと思う。
(ま)現在、10時25分。昨夜は結局顔をあらわずに、つまりシャワーもできずに眠ってしまってい朝の7時に起こされる。いやいやながらも起き上がれば気持ちの良い朝が広がっている。月曜日の混み合う道路に懐かしさを覚える。何年かこの朝の中にいたはずなのにここからはもうすっかり遠い。朝ごはんを食べていると水をひっくり返してしまったが、たいへん親切な定員さんに助けてもらう。母がもたせてくれたお弁当を片手に東京駅を歩きながら、東京駅を歩いたいちばん古い記憶を思い出そうとしたけれど思い出せなかった。コンコースを行き交うひとの足の速さに合わせるように、わたしも足早にホームへと上がった。
〈母は香水をつけるひとだったしデパートのお化粧品売り場でお買い物するときについて行ったりするのもすきだったから、小さいころから香水やお化粧品の匂いは憧れの対象だった。それは自分でお化粧品を買うようになっても変わらなくてずっといい匂いのするキラキラとしたものからほのかに香るにおいの捕まえられなさ、の虜である。〉という文章を頭に浮かばせながらマツエクをしてもらっていた。今日の担当の方からわたしが以前使っていた香水が漂ってきたから。終わって歩いて帰ってくると日差しが強く汗をかきそうなくらいである。というか少しかく。いまはお洗濯物をまわしてラザニアを食べながらこの文章を携帯に打ち込んでいて、マツエクをしてもらいながら浮かんでいた文章とはやっぱり異なる文章をかいている。すっかり桜は散って新緑がまぶしい。光のことをずっと考えている。
4月9日
(あ)おはよう。ついにカメラがこわれてエラー表示が出るようになった。壊れたカメラは家に置いて、2日目の青もの市へ向かった。2日目は15時までということもあって、あっという間に時間が過ぎていった。どんな一日だったかというと、天気は気持ちいい晴れではなかったけれど、こころはずっと穏やかだった。おかげさまで用意していたものの半分以上が旅立っていき、おなじように東京も旅立っていった。美容室の座り心地の良い椅子に座ったりして、のんびり過ごした。ぼーっとこれからのことを考えたりもした。青もの市は、今年で最後。最後らしい出店だったかはわからないけれど、この3年でそれなりに良い方向に変化した自分を実感できていることがありがたいなと思う。自分だけじゃなくて、出展者やお客さんの変化にも出会えたこと(体感できたこと)も、自分にとってありがたくて、とても喜ばしかった。
(ま)落ち着きがどうしてもなくなって普段なら買わないフルーツのサンドイッチをたくさん買って日付けが変わったころに帰宅。家族からどうしたの、と言われてわたしも自分のことをどうしたの、と思いながら、そこにいた。あぁアパートに毛布を干しっぱなしにしてきてしまったなと思いながらこれから顔を洗う。
4月8日
(あ)3度目の青もの市。昨日プリントしたフライヤーデータを遠藤さんに紹介したとき、これで新しい何か作れそうと言っていただいたのだけど、純さんからも全く同じことをメッセージとしていただいて、すきな二人から同じことを言ってもらえたことはなんだかすごく嬉しかった。何を撮っているか問われて、うまく答えられないでいる自分に今日も出会って、最初は思い出として残すために撮り始めて、いつしか自己実現のツールになっていったことをふと思い出した。それから、ファインアート写真と形容されてそう思うようにしていたこと。小冊子東京を作ったとき、表現という形容がしっくりきてからは、問われたらそんなふうに答えてきたけど、いまは(自己の)表現ではなくなってきていると感じてきていることも今日ふと自覚した。じゃあなんなのか。いままた新しいところにいる気がしている。ここはどこなんだろう。しりたい。ただの写真と言えば間違いなくその通りなんだけど、私が納得できる答えを、これから向き合う4000字に相手に伝わる形で記せるといい。と、そんなことを考えたくなる良い夜をトリップで柊太朗さんと佐々木さんと過ごした。
4がつ7にち
(あ)小学校の入学式だった日。盛大な寝坊から一日が始まった。学校へ行き用事を足してから上野へ。そして長岡へ。ますみやという素晴らしい定食屋さんでのランチから、友人と設備の整った暗室での作業。いままで話したことのない話をして、知らないを知って。それでもまだまだ知らないことばかりで、だから知りたくて。そんなことを思いながら手を動かして。うまく形容しがたい、あたたかくて幸せな時間だった。
(ま)地図をよんでもグーグルマップに音声案内をしてもらっても、目的地にたどりつけない。案の定きょうもあまり歩いたことのない場所を調子のよくないアイフォン片手にあるいていると全然違う場所に出ていた。なんというか、半分くらい行きたい方向からずれている。どこにいるのか、はわかる。ただお臍をむいている方向がどちらなのかわからない。歩きながら動いた方向で向きを確認することがうまくできない。今日のわたしには少しだけ時間にゆとりがあり、周囲に誰もおらず人通りもなさそうだったので歩きながら本を読んだ。どうしようもなく読みたい本がひさしぶりに手元にある。行き止まりになって顔を上げると角の家からちぎれちぎれにピアノの音が聞こえてくる。まったく知らないはずのにどうしてかわたしはこの景色を知っていると思って、そのことに安堵する反面うら恐ろしさも覚える。
憧れてやまない小説家の口から「やぶさかではないのですが」ということばが飛び出してきて、そのことを噛み締めながら帰った。今日もじょうずには話せなかった。だけれどじょうずに話したいと思っていること、その出発点がそもそもずれているのかもしれない。
4月6日
(あ)フレックスありがとうと思いながら出勤。起床時は相変わらずだったけど、行動しだしたらヤクルト1000のおかげか疲れが抜けているかもとなった。一瞬だけど一瞬のためにさいたまに行って、東京に戻ってアメ横を歩いてみた。雰囲気がとても良かったし上野~稲荷町~田原町あたりがかなり好きな感じで京都みがあってテンションが上がったね。4時起きなんだけど、もう3時27分、なんでやねん
(ま)現在、24時58分。このごろの情緒不安定なわたしを見かねて声をかけてくれたひとが連れ出してくれたのは映画館だった。暗闇でシートに身体をゆだね大きな世界のうねりに飲み込まれていくのは心地良く、なによりもずっと笑っていた。圧倒的な面白さの前には緊張と緩和もフリも必要ないのかもしれない。面白さはただそれとして存在可能なのだろう。もちろん独立した状態でいろんなものに接続しながら。帰り道に見上げた月の明るさにも勝手に励まされてユーミンを聴いている。お洗濯ものがたまっているが明日は雨降りらしい。映画を噛みしめながらねむったらどんな夢をみるだろう。
4月5日
(あ)昨日はお昼の購入したかぼちゃを豪快に落としてしまい号泣した。すぐハトが寄ってきて、彼らのえさになったので涙はひいた。かぼちゃさんごめんなさい。
終業後はあえて各停の電車でゆっくり帰りながら今後のことについて携帯でメモをとったり色々細かい作業をしていたのだけど思った以上に疲れていたようで顔色が白くてびっくりした。で、帰りに寄ったスーパーでヤクルト1000を初めて購入してみて、疑心暗鬼ながらも頼みの綱として飲んでみたらそのまま寝てしまった。起きたら8時だった。本当に一瞬で朝だったので、睡眠の質向上効果すごい、本物だとなった。だけど、よく考えたら初出勤だったからそりゃ疲れますよね、自分お疲れ、無事初出勤終えておめでとう。
話を少しさかのぼって、ずっと気になっていた中華料理屋で夕ご飯を食べたのだけど、期待しすぎてしまって少し悲しい思いをした。家から徒歩7分くらいの店。あと何軒か町中華のぎこいお店があるので懲りずに行ってみようと思う。
今日のは6日の朝に書いている。
(ま)朝の公園で練習しているとわんさかと子ども達が集まってきて、パーソナルスペースということばが野暮なくらい真横すれすれを走り去って行く。集っては散り、誰もいなくなったと思うとまた大集合する。みんなでひとつの大きな生命体のよう。逃げ回るよりも鬼をやるほうがすきだったからその感じでいまも追い求めているのかもしれない。なにをかは、ここには書かない。愛咲子ちゃん初出勤おつかれさま。
4がつ4にち
(あ)朝ごはんを作り終えて帰宅。退勤と好きなパン屋の開店時間が同じくらいだったので、パン屋に寄る。いつも買うのは全粒粉のまるパンとプレーンスコーン。今日はあんバターフランスも買ってみた。家に帰って、早目のお昼ごはんとして食べて、デコポンも食べて、そのまま気付いたら寝ていた。夕方新橋のおじさんから電話が来て急遽お手伝いに新橋へ。こりゃ大変だというてんやわんや具合だった。無事に終え、いただいたまかないは親子丼。おいしい。おみやげでお寿司をいただいたので明日の朝ごはんにしようと思う。夜の新橋は火曜日でも明るくて元気。帰りはなんとなく銀座線でかえってみた。4月22,23で行くか、29,30で行くか、とっても迷っているけどまだ結論は出ていない。
(ま)春になると不意に鼻血が出ることが増えるのだが中学生のころからなのでもう慣れている。鼻を強くおさえなくとも止まる鼻血は止まるし、どんなに強くおさえても止まらないものは止まらない。
4月3日
(あ)ここ数日スーツを着たので少し疲れた。平日の黄色は座れるのでありがたい。片道30分しっかり寝た。今日の夕食はしめじとほうれん草、たまねぎとベーコンの和風パスタ、レタスとトマトと人参のオイルで和えたサラダ、ゆでたまご、コーンスープでした。シンプルザベスト。明朝は肉じゃがにしようと思って、いまはいもたちを沸々させている。料理は料理のことしか考えられなくなるのがいい、集中せざるを得ないのがいい。それでも今日もふと坂本龍一のことを考えていた。好きな写真家や音楽家が、作家が彼を追悼している。本当にたくさんのひとひとから慕われていたひとだったことを思う。ミヤネ屋で、音楽以外にも関心を持たれて活動されていたとか、彼の音楽のジャンルは形容できないなどど言われていたけど、彼の中では音楽を音楽単体として捉えていなかっただろうし、もっと複合的なものとして、音楽もそれ以外もすべてが 有機的なものとして見ていただろうからジャンルなんて概念もきっとなくて。音楽家は音楽だけを聴く、写真家は写真のことだけを考えるとかそういうことよりももっと包括的に小さなまなざしから大きなまなざしでものを見ていたんだよなと思う。本当にすべてそういうことだよなと思う。わたしもがんばりたい。追いかけたい背中があることはとても幸せなことだね。ありがとう、そしてそばにいてくれるあなた、ありがとう。
(ま)ブランコをさいしょから思いっきり漕いだら瞬く間に酔ってしまうが、めげずにあまりにも綺麗な月を見上げてごまかす。明日もお天気のはずだが星が見えなかったのはここが東京だからだろうか、それともあまりにも月がひかっているからだろうか。わからなくてこれはわからないままでいいと、そう思った。爆笑問題サンデーの又吉ゲスト会を聞いて、久しぶりにプロテインを飲んだ。おそらくわたしはできるだけいつも通りに過ごしたいと思っている。こんな春ははじめてである。
4月2日
(あ)物心つく頃から中学を卒業するまでピアノを習っていたけど、好きなように弾くことができないもどかしさから辞めてしまった。後悔はしていないけど、数年前に伝統工芸士だと自らを形容するたいさんに出合ってからはその意味を理解できていたらまた違う景色が見えていたのかなあとふと思ったりはする。はじめて「戦場のメリークリスマス」聴いたのはピアノの発表会で10歳くらいだった。彼ではない知らない誰かが弾いていたけれど、こんなに美しい曲はわたしには弾くことはできないと、こどもながらに衝撃を受けた。その時はじめて、ピアノって美しいんだと自覚することができたように思う。毎日毎日聴いていたわけではないけれど、彼の影響をわたしも受けていると思うと、ただただありがとうと、たくさんの作品を残してくれてありがとうという気持ちが込み上げてくる。これからも変わらず、わたしのペースで聴いていきたいと思う。まずは「12」から。どうか安らかにいてください。
(ま)これをするから良くないんだ、と思いながらもお部屋に帰ってくるとそのままベッドに潜りこんでねむってしまい4時ごろに目が覚める。電気を消してアラームをかけてもう一度眠る。起きて残念な心持ちでシャワーを浴びる。案の定このごろお肌はものすごくごわごわしていて中々ニキビがなおらない。引きずるようにして電車に乗る。金井美恵子『岸辺のない海』をひらくが全然読めなくて車内で大声を出したくなる。まるでなにもわからなくて、何かを分かろうとしながら読んでいることになんだかもう疲れてくる。これはわかるとかわからないとかの小説ではないのだろう。電車を降りたらまるで知らない道みたいにいつも登る坂を登ってみる。気分がよくなる。街の至るところに新社会人の集団をみかける。
4月1日
(あ)昨夜は生きるという映画を鑑賞した。1952年公開当時の日本での「映画」は娯楽だったとはね。今じゃ文化であり、教養だよ。パチンコがそうなる未来はあるのかな
(ま)現在、23時40分。洗濯物びよりのお天気でじゃぶじゃぶ回して朝ごはんもたくさん食べる。今日はおやすみにした土曜日である。昨日やよちゃんに教えてもらったラジオをかけつつお部屋の掃除をする。窓を開け放って空気を入れ替えると、落ち着いた。相変わらず遅刻しながら近くの公園へ行くとものすごい人である。ねむっている人に食べて飲んでいる人に、桜を見つめる人。ポケットに入っていたと言ってもらった一枚の桜の花びらが、たよりなくてかわいらしい。夜は肌寒いけれど歩いていると気持ちよくなり、なんだか帰るのがもったいなくなってしまいコインランドリーへすこし寄る。読みかけの『月と散文』をしずかに読み終わる。次はなにをひらこうかと本棚を眺めながら、いま書こうとしているもののことを考えている。
3月31日
(あ)もう今年は会えないと思っていたところ、会えて、うれしくて贈ったチューリップは八重咲の赤色。
(ま)会社に置いていた私物と思われる大荷物と送別であろうたくさんのお花を抱えて電車に揺られるサラリーマンを見ながら、わたしも1年前にあんな風にして会社をやめたということがまったく信じられず妙な気持ちになる。直近の12ヶ月は本当にありがたいことに体感2年分くらいあって決してあっという間ではなかった。そんな風に過ごせたのは周りの方々のおかげで、つくづく一人ではないのだと思う。もっとしっかり自分がもっているものを抱いて明日からの来年度もはしっていきたい。わたしによってしかわたしが走ることはできないのだから。ながい雨降りにも負けずに思いのほか桜はまだ咲いていて、夜に吹く風もずいぶん柔らかくなった。星はみえない。
3がつ30にち
(あ)ひらがなの気分ではなかったけど。帰宅して用事を済ませて仮眠と思って布団に入ったら3時間も寝てしまい、行きたかった展示に行けなかった。でもすっきりできた。ヤパ時代から使っている洗濯機がいよいよ壊れそう。
(ま)気持ちがすっかり滅入ってしまってうまくスイッチがはいらないままいろんなことに取り組んだら散々で、落ち込みだけが加速する。それでも想像以上に良い日があれば心配したってどうにもできない日もあるからその打率をできるだけ上げていくしかないのだろう。今日は雨降りじゃなかっただけラッキーである。紀伊國屋でたのんでいた『月と散文』を受け取り店内をすこし歩くが、いつになくどんな本とも目が合わない。読みたい気持ちはあるのになににも手が伸びずなにも見つけられない。行き交うスーツを着たひとたちはみな自分が行くべき方向へ迷わずに歩いているように見える。東口前で歌うシンガーに合わせてわたしもいっしょに、口ずさんだ。こんなにも安定からは程遠い日常だがそれでもこの今日を選んでよかったと思っている。歌われたのは椎名林檎である。
3がつ29にち
(あ)3月がいちにちずつ終わっていく。昨晩はなぜか寝れなくて2時ごろまで起きていた。何時に目が覚めるだろうとおもいながら目を瞑る。そして目を覚ましたとき、8時半前だった。原宿へ向かう。14時までかかると思っていた用事が11時半には終わり、フライングタイガーでバイト用のドキュメントケースとふせんを手に入れ、一緒に購入した黄色いお花柄のエコバックにそれに入れてじゃっかんスキップで帰宅。現在は19時32分。夕飯は給食のようなカレーと、豆とキュウリのサラダ(vovoのサラダのイメージ)と、トマトスープ。今日は夜勤。家のほうはわからないけれど職場付近では強いにわか雨がふったので洗濯物を取り込んできてよかったと思った。漢字、カタカナ、英語、ひらがななら、今日はひらがなの気分
(ま)コートを脱いだときに自分から漂ったお線香のにおいを嗅ぎながらただぼうっと中央線の快速に揺られた。
3月28日
(あ)家賃の振り込みが27日なのを先月に引き続き失念してしまい、今日の14:44に振り込んだ。月末でも25日でもなく、27日は独自ルールだなと思う。いつも使っている銀行ではなく、他行への振り込みなんだけど、なんだか特別優待ルールとやらに該当してくれて、振り込み手数料がかからなかった。ありがたすぎる。どうやら月1回までなら他行への振込は無料とのことだった。振込先の銀行口座を作ろうと思っていたのだけど、その必要がなくなりそうでありがたい限り。ありがとう三菱UFJ。来月も忘れそう。あと3日で3月が終わる。一人暮らしを始めて2ヶ月が経とうとしている。変わったことは、あまり眠らなくなったこと、週4くらいで湯船に入るようになったこと、ありえないくらいご飯を食べるようになって5キロも体重が増量してしまったこと、エアフォースを履くようになったこと、またテレビを見るようになったこと、火で湯を沸かすようになったこと、二人暮らしの頃より水道光熱費が高いこと、レコードでもちゃんと音楽を聴けていること。忙しいと集中できないを言い訳に映画を見ないことを辞めたこと。どんなにお金がなくても一輪だけは部屋に花を飾ること。変わらないことは金欠なこと、時間の使い方が下手なこと。メールやラインの未読が1000件、2000件溜まってしまうこと、だけど大事な連絡は早レスできる(気でいる)こと。オーセンティックを履くこと。週2でヨドバシにいくこと、家族との連絡頻度、自分のペースでのんびり本を読むことでしょうか。みなさんはいかがですか。
(ま)現在、1時5分。さいごのオーディションが終わって新幹線で新潟へ。ほとんど満席の車内のなかで赤染さんの『乙女の密告』を読み終わると同時に意識を手放していたようで、気付くと到着のアナウンスが鳴り響いていて飛び起きる。左隣の子がずっとドリルをやっていたけれどどう見ても新幹線の机では解きにくそうだった。今日はばったり知り合いに会っても声をかけずにいようと思いながら駅を歩いたが、誰にも会わなかった。星がよく出ている。
3月27日 21:58 #254
(あ)一日一枚、迷走中。
「絵で何かを表すことは翻訳ではないでしょうか」という横山さんの言葉をみて、では写真で何かを表すことはそれは翻訳になりうるのだろうかと考えた。翻訳とインターネットで調べると、翻訳という言葉の意味よりも先に、翻訳ツールに関する検索結果が表示される。翻訳という言葉ではなく翻訳という役割が必要とされていること、我々の生活に翻訳という行為がどれほど染みているかということがとてもよくわかる結果だと思う。翻訳という言葉のいみは、オックスフォードの辞書によれば「ある言語で表現された文章の内容を、原文に即して他の言語に移しかえること。」写真を言語と捉えることはできると思うけれど、写真を翻訳するということは、なにかへ投影するような要素が強い気がした。写真はなにか含んでいるようで、目の前のそれをただ写しているだけ。写っているものをみているようで、われわれは撮影者の眼差しをみているという、写真は単純だけど、めんどくさくて不思議な表現だと思う。話を戻して、言葉を写真として翻訳することは難しい場合があるけれど、写真を言葉として翻訳をすることはできるから、写真と言葉の関係は、わたしは、どうしても言葉が優位なのだと思ってしまう。優位だからどうということが言いたいのではなく、そう思うから、わたしには何ができるのか考えたいというような気持ちなのだけど、舞ちゃんと作品を作りはじめてからずっと変わらず思っていることに気がついた。変わらずというよりは少しずつ大きくなっていっている。ただ、「展示」という表出になると、写真はフレームのおかげで立体になり、写らなかった空間を感じることができ、写真なはずなのに写真じゃなくなるような気がして、そんな”気”が写真を膨らませてくれる。膨らませてくれるけど、それでもやっぱり言葉の持つ力はイメージより遥かに大きい気もする。(わたしの)写真が言語に近ければ近いほど、それはまた別のなにかに翻訳しやすくなって、(わたしが)話す言葉が写真に近くなればなるほど、その作品のもつ力が大きくなる。何かに寄せるわけではなく、強くある/強くあろうとすることはこれはより他者とわかり合えるための鍵の一つである気がしている。それを理解したうえで、言葉に近くなくても、音や感情を含んでいるものでありたいと改めて思う。変わらないものはずっと変わらないことけれど、こんなふうに更新していけることはありがたくて嬉しい。さあわたしは明日をこれからどう考えて、どう見つめていこう。良いヒントをもらった。そんなことを考えていたら、電車を間違えて、三鷹と吉祥寺を2回行き来して、10分足らずで着くところを35分ほどかけて帰宅しました。
ちなみに、今回の展示の会期中は、チョコレートとバターのバケットサンドが提供されていました。「あなたとの境界を溶かしたくて、でも境界があるからあなたを感じられて、ごちゃまぜになった思いをあなたの名前に託す。こんな近くて、遠い、わたしたちは、どこまで行けるのだろう。振るい落とされないように互いにしがみつきあって。そんな味。」と熊谷さんは記していました。迷っているようで先に先に伸びていく、後ろを振り返らないような線からは、交われないけれど、また同じ場所には戻ることができる。今度は違う視点であなたを見つめることができる。行ったり来たりではなく、行くばかりだけど、行くばかりだからこそまた戻って来れると思えた。そんな「線」を見ました。
(ま)コインランドリーで話し込んでいると3時半を境に空が明るくなりはじめ、またあとでと言って逆方向へわかれた。
3月26日
(あ)先日の有吉の散歩のテレビでは北千住特集だった。今日はたまちゃんとそのお友達に会いに北千住へ。2度目の家劇場で家主の一人芝居(ゲストあり)を鑑賞。息づかいや汗が肌を流れる感じ、ライブやなあとみていた。そのあとはたまちゃんのシェアハウスにお邪魔して4時間ものんびりしてしまった。居心地のいい家だし、街の雰囲気もとてもいい。雰囲気がいいなと思う一つは、すぐそばに荒川や隅田川が流れているからなのだと思った。川風には何とも言えないヒーリング効果があるね。キムさんのおいしいコーヒーをいただき、からあげをみんなで仲良く食べ、街を少し歩いた。そのあとはエブリシングを鑑賞。カオスのベールに包まれているけど、内容はとても素朴で映画らしい映画だなあと思ったのと、クレジットに日本人の名前、エンディングソングがミツキなのもよかった。なんかいい週末だった。
(ま)北千住からの帰りみちにぼうっとしていたら電車を間違って千葉に着き、聞いたことのない駅だったので構内をぶらぶらしてヨーグルッペを飲む。15分くらい電車が来なかったので千葉に着いたことを友人に電話すると、「そんなわけないやん」と最初しんじてもらえなかった。たまちゃんとおたまちゃんは名前こそ似ているがそれぞれいろんなものをもっていて、いくらでも話をききたくなるようなふたりである。床にそのまま置かれた『違国日記』は9巻までで、わたしもまだ最新刊を買っていないことを思い出す。
3月25日
(あ)土曜日という感覚がなく何かといえば金曜日のような感覚になっている。いただいたスイートピーはもう水を吸えなくなってなんならドライ気味だけど、捨てることがまだできず飾っている。春のお花はなんてかわいいのだろう。桜が先週から満開なはずだけど、雨風で散っていく。家の前の道路に花びらのじゅうたんができていた。うつくしいこの景色は春だけ見ることができるね。植物が芽吹く(生物から見た世界)という意味では春が一番好きだなあと思う。
(ま)帰りみちに混み合った電車へ向かって勢いよく走っていく二人組がいて、前にいたひとりだけが滑り込むことに成功しもうひとりはホームにひとり取り残されていた。虚しくドアは閉まってもうひらかなかった。それをぼんやりとみていると肩をたたかれ振り向けば、落っことしたらしいスイカを知らないひとが拾ってくださっていた。お腹がひどく空いていたので24時までやっているケバブ屋さんに寄ったら、いつも通りキンキンの照明はついたままで〈KYO YASUMI〉という貼り紙がしてあった。痺れた。
3月24日
(あ)朝食を8時ごろに済ませて、先日目黒に行ったときに購入したレコードをかけてみている。ほしかったユーミンの盛岡の歌が入っているものと、デュークエリントンのもの。ユーミンのはところどころ音が外れてしまうけど、これでBOOKNERDで過ごした夏と、それまでの苦しい日々と、コロナ療養の日々をいつでも思い出せる。音楽はタイムカプセルのようなものでもある。
(ま)月経前特有の身体中のもたつきがあるし雨だしで授業がおわってすぐにかえってくる。ライブの動画を見ていたら気づくとねむってしまい19時すぎで、今朝の炊き込みごはんを食べながらどろどろと過ごす。閉店20分前の紀伊国屋本店に電話すると又吉の新刊『月と散文』のサイン本がまだあるとのことで取り置きのおねがいをする。前住んでいた駅の書店にもはいっているようだったが、なんとなくその駅に行くのはもっとずっと先になってからがいいと思ってかけなかった。すぐ近くなのだけれど。昨日なっちゃんにいただいた花瓶にさしたユーカリがかわいくて何度もみる。書こう書こうと思っているお手紙を今日もかかなかった。だけど遠くに住むあのひとはどうしているだろうか、と毎日のなかでよく考えている。それは思ったよりも頻繁である。
3月23日
(あ)昨日は写真を撮ったあと、昨年の初夏ぶりに目黒を歩いた。旧友としょうもない話からこれからの大事な話をして、夜は六本木にある流れ坂のお店をハシゴして過ごした。知り合って5年とは思えないくらい、濃厚な関係と思ったけれど、一人は一緒に住んでいたからそりゃそうだし、一人は久しぶりに会う気がしないほど合うひとだよなと帰り道に思っていた。キクロンのスポンジと、瀬波の入浴剤を新居祝いにもらった。お礼にくふやくわづをプレゼントしようと思っている。
(ま)新宿会場での最後のライブはいままでで一番よく客席が見えた。
3月22日
(ま)到底受け入れられないかなしみはほんとうに、突然やってくるわけだがそれでも日常はつづき、自分以外に自分に責任を取ってくれる存在などいないのである。だからインドにいるあすちゃんはハンガーラックを組み立て、わたしはまたロールキャベツを温めて食べ、深夜に虚無のなか食パンを食べる話で共感し合う。どうしようもないことをそのまま受け入れるには時間がかかる。だからこそ同じかなしみを知るひとがいてくれることは心底心づよい。うそだったらどんなにいいだろう。でもうそじゃないから、それをもったまま明日を生きるのである。
3月21日
(あ)逗子から帰る京急の車窓からふと見えた空が青くてびっくりした。夕空。青もの横丁という駅を過ぎた。
(ま)現在、22時23分。今朝は少し前に祖母が送ってくれて解凍していたお肉をお米といっしょに炊いて炊き込みごはんにする。明日のほうがお天気そうなのでお洗濯は回さない。祝日で休日。お昼には出たかったけれど結局14時すぎから外出する。道すがらいつもは誰も歩いていない神田川沿いにたくさんのひとがいるのを尻目に、混み合っていたので橋の上からすこし桜を眺める。うしろに広がる曇り空。浮き上がってうそみたいな桜。絵しりとりをしてあまりにも絵が得意でないことをひさしぶりに思い出す。負けず嫌いなひとをわたしは信頼する。twililightさんで買って、手に入れたことに満足していたリディア・デイヴィス『話の終わり』をすこしずつ読みはじめて、もうすぐアリ・スミスの短編集が出るのでそれを読む前に読み終わりたい感じがある。『五月』という短編にぶち抜かれたのはどのくらい前のことだっただろうか。朝食はすごい。なんたって朝食を食べると一日2食でもお腹が減る時間がほとんどない。それなのにどういうわけかこの頃は、お腹がすいていないのに何かと食べてしまう。明後日からは雨の日がつづくようである。
3月20日
(ま)現在、3時2分。朝はごはんを炊けずに働きに。日付が変わったころに牛乳だけ買ってかえってきて少しねむってしまい、身体が冷えていたのでお風呂にはいる。このごろは湯船につかりながらあるひとのnoteを読み込んで上がってからたっぷりお茶を飲むのが日課になっており今日も例のごとくそうした。どんなにたくさん飲んでもお手洗いにいきたくて目覚めることがまったくないので、採っているつもりでもまだ水分が足りないのだろうか。帰りみちを歩いていると吐瀉物が数メートルおきに落っこちておりだんだんその感覚は短くなっていて、危ないと言われなければわたくしはその全てを踏みつけていただろう。視野のせまさ。夜は冷えるので洗った羽毛布団をまた引っ張り出してきてそれにくるまれる。いや、くるまれているようでこちらが包んでいたい。マスクをしていないひとはずいぶん増えた。
3月19日
(あ)バイトを終えた朝に豪快にアイフォンを落として背面ガラスが砕けた。トライポフォビアのひとには見るに堪えがたいアイフォンになってしまった。アップルケアに入っていてよかった、変えてきます。いつのまにかいただいたお花はスイートピーとつぼみだったラナンキュラスだけになった。お花を撮りたかったのにこんな感じ。3日ぶりくらいに晴れたので、11時くらいに家に帰ってからシャワーを浴び、洗濯を回して布団を干した。少し寝て、またバイトへ。2連荘夜勤は最初で最後であってほしい。関係ないけど、ポピーの別名は早春のプリンセスというらしい可愛いお名前とのことです。
(ま)現在、22時34分。いつも休憩のときに寄るコンビニに、いついってもいる店員さんは髪の毛を真っ白に染めていて、そのプラチナヘアーにわたしはいつもハッとする。なにか忘れているようなことがある気がして。今日いってみるとずっと腰まであったながい綺麗な髪の毛は見事に肩上のボブに切り揃えられていた。あたらしい線を手に入れた彼女の声はいつもの通り低く、手際もいつも通り素早い。すれ違ったひとが「村上春樹はわたしに初めて一人でも大丈夫だということを伝えた人物だ。いまだってリュックに一冊はいっている」といっしょに歩いているひとに力説していて、歩きながら話す話題にしては大きい、と思う。かえるときに、枡野浩一『かんたん短歌の作り方』と蟹の親子『浜へ行く』を買う。お店を出てビニールをやぶって読みながら駅まで歩いているとふと、その歩き方をしてよく父に怒られたことを思い出して、父に「グンナイ」とエビのスタンプを送る。いまは帰りの電車のなか、明日はごみ捨ての日であることを思いだして靴を脱ぐ前にすてにいってしまってそのまま座る前にお風呂にもはいろうと思う。そう、今はたしかにそう思っている。くちびるの傍にできたふきでものが、いよいよよくない感じで膨れている。
3月18日
(あ)昨晩は友人と3時ごろまで話しこんでしまって、ゆっくり昼ご飯を食べて解散した。見送るときはいつになくさみしさを抱いて、なんだろうこれはとなった。
(ま)現在、23時14分。しばらくぶりに日付が変わる前にお風呂にはいってこうしてPCをひらいている。おすすめしてもらった石田夏帆『ケチる貴方』を湯船に浸かりながら読む。主人公の勤める会社が以前働いていたところにいろいろ近くてその景色、わたしも見たなぁと思いながら一気に読み終わる。気温が下がり雨が降るなか電車に揺られて働きにいく。帰るころに雨はあがっている 。3分の1ほどしかマニキュアが残っていないわたしの両爪は綺麗とは程とおく、そういえば昨晩愛咲子ちゃんのおうちからトップコートを持ってくるのをすっかりわすれていた。さいきんよく話す同期のグループトークに「みんな寝た?」ときたので「ねた」と返す。曜日感覚がどんどんなくなっている感じがこのごろまた強くなっている。既読はまだつかない。
3月17日
(あ)同級生でも幼馴染でもないかれこれ10年ほどの付き合いになる友人が東京に来てくれた。10代から二人でおいかけていたバンドのライブのため。会場は今年の7月に閉館する中野サンプラザ。最初で最後のサンプラザだと思ってチケットを購入したのは去年の11月くらいだっただろうか。サンプラザでというところもそうだけど、久しぶりに彼女と一緒にライブに行きたいと思って連絡をした。そのころは舞ちゃんとの暮らしを終えようと丁度話していたころで、まだ中野に住んでいたころ。ライブ当日はどんな気持ちでいるだろうかと少し未来の自分を想像した。夕方、一年もすまなかった中野で降りて、少し歩いた後すしを食べて、彼女はクレープを食べて、ゆっくり会場へ向かった。二人で座りながら私たちのペースで聴いていた。何回この人たちのライブに足を運んだだろうか、今日までの日々でのいろいろな出来事が頭をなでてくれるようにながれていった。それはそれは幸せそうなリズムを刻んで。
ありがとう。
(ま)学校の帰りに一本ライブを見て、それからお布団を担いで愛咲子ちゃんのおうちに行って帰ってきたら即ねむってしまっていた。4時くらいに目が覚めて電気を消してもう一度ねむったけれどぐっすりはねむれず。電子レンジのなかで温めたロールキャベツがどこにもいけずに思い出されるのを待っていてくれた。帰り道に東京マラソンでランナーが花壇に向かって放尿していた道を歩いた。
3月16日
(あ)今日の写真はまだとっていません。
暗室に来ているけど、うまく作業できそうになかったのでやめた。こっちに来てからロクに働いてなくて、冬に体調も崩して、でもなんとなくやりたい方向もわかってきたから、動いて、そしたら無事に職が決まって、頑張ろうと思っているけれど、自分はいつまでこういうことをやり続けるんだろうと今日も考えた。暗室へ向かうとき、生えていたローズマリーを触って、手についたにおいをめいっぱい吸う、そして吐く、そんなあほなことはできるから大丈夫だと言い聞かせているけどもいま人生で一番お金がない。
(ま)面談にいって公園でネタ合わせ、それからすきな喫茶店へいった。わたしの文章を読んだときに、このひとは小説を書きたいと思っているのだろうと感じたと言われて驚く。それからすきな小説について話したけれどすきなものはほとんど全くかぶっていなくて、それなのにこのひともまた「小説」に救われてきたのだということがはっきりわかった。名前が出たわけじゃないけれどちかいうちに中原昌也を読もうと思う。帰ってから今日は桜をよく見なかったことを思い出しながら、期限のすぎた牛乳を飲んだ。
3月15日
(ま)バイト先に同じ時期にはいったなっちゃんは同じ歳なこともありあっという間になかよくなって、そうしていっしょに働き始めて気付けば半年以上経っていた。今日ははじめて時間が完全にかぶっていたから帰り道にケバブを食べて同じ路線に乗ってかえってきて、なんとなしにあと何回同じ日の勤務かを確認した。忙しくなかったけれど働いたあとでそれも22時をまわっていたからふたりとも口数が少なくて、でもこんな帰り道は新鮮でこころが躍った。なっちゃんはよく気がついていっしょに働いているとたのもしいし、わたしよりもできることがたくさんある。でも再来週いっぱいで職場では会うことができなくなる。もう春なのだ。
3月14日
(あ)バイトをしてきた。日暮里の方に住むイメージはわかないかも。日暮里ではないことが分かってよかった。
(ま)わたしが頭の中で〈ラバーガール〉というとき、そのことばは愛咲子ちゃんとひろちゃんのふたりの声によって発される。だからこの6音はとくべつな音なのである。短歌において長音「ー」はひと文字にカウントされる。
3月13日
(あ)バイトをしてきた。
(ま)情熱大陸があまりにもよかったのでずっと前にひろちゃんが貸してくれた片桐はいり『グアテマラの弟』をひとおもいに読んだ。それからこれまた発売当時にひろちゃんがものすごく推していた井戸川さんの『ここはとても速い川』を読む。公園でスケボーをするひとたちはもう半袖だがわたしは今日もマフラーを巻いていた。たくさんのひとが噴水の前でポーズを取って写真におさめ、ゆっくりと去っていく。
3月12日
(あ)夕方ごろまでごろごろしてしまった。映像研には手を出すなをみていたのだけど、アニメの制作現場では声優さんなどのキャスティングはどのように決まるのかが気になった。あまりにも伊藤沙莉が適役で。そして原作はどちらからでているのか調べたら、信頼のスピリッツだった。いただいたラナンキュラスがこれでもかと有終の美を残そうとして咲き誇ってくれている。花屋さんでのラナンキュラスさんの販売が終わる前にもう一度迎えたいと思う。
(ま)食欲が少しだけ戻ってきて今日から働きにいく。休憩になって建物から出ると尊敬してやまないアーテイストが同じ建物に入っていった。そのひとにも休日があるという当たり前のことを目の当たりにして、安堵した。
3月11日
(あ)突然 small pieces が開けなくなり、これを機会に境に small pieces 2 を作成しました。わたしは今日は、海岸沿いへ向かいました。千葉の海。このうつくしい凪がいつ一変するかなんてわたしたちには誰にもわからないけれど、動物は感じ取るというから、神もわかるのだろうか。この海に、動物に、自然に、地球に生かされているということをもっと考えていこうと思いながら帰りの電車にゆられていた。そしてすこし寝た
(ま)今日もやすませてもらって近くの耳鼻科へ。体調の波が落ち着いているときに『わたしは思い出す』を少しずつ読む。ほとんど「わたし」という人称は出てこないけれどそれでもその日記を書いている「わたし」、それからその子ども「あかね」がどんどん他人ではなくなっていく感じがあって、実際に他人などではないのだと思う。1年前にある写真家のアトリエで見た一枚の写真のことを思い出す。海に浮かぶ動物の写真。
3月10日
(あ)かいち氏が声をかけてくれて、荻窪のお洒落なところでコーヒーを飲んだ。そのあとはタイトルさんでエレナさんの展示を見に。以前 twililight さんで本を見て以来気になっていた方で展示をしていると教えてもらって見に行ってきた。自身がやりたいなあとぼんやり思っていることに近い形で展示をされていて、ぼんやりしていたイメージが少し具体化された気がした。頑張ろうと思う。
(ま)起きてすぐに喉がまだ痛く、昨夜の調子のわるい感じはやっぱり気のせいじゃなかったと思いながら学校へいく。テンションのある場に行くと自分のテンションも上がってそのまま合ってしまうのだけれど、帰ってくるとやっぱり調子が良くないことを痛感しながら薬を飲んですぐに眠る。体調悪くなって食欲がなくなることがほとんどないけれど今回はめっきり食欲がない。ポカリをがぶがぶ飲んで眠って少し起きてまた眠るの繰り返し。いつもより部屋が広く感じる。